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 レクツィオ・ディビナとは、「聖なる読書」という意味で、聖ベネディクトが砂漠の教父の影響を受けて始めたと言われる、祈りをもって御言葉を読む方法です。


 御言葉を章単位で読むのでなく、数節から10数節くらいを選び、ゆっくりと、じっくりと味わいながら読みます。知識を得るために読むのではなく、また注解書をひもときながら聖書を歴史的・神学的に理解したり、解釈したりすることを目的とするものでもありません。生きた神のことばである御言葉から、神さまに語っていただき、それによって私たちの霊を形づくっていただくために聖書を読むことです。これは「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができる」(ヘブル4:12)ことに根差した実践であり、みことばを読むこと、そして御言葉に聴くことが、そのまま祈りとなります。



 それは観想的な聖書の読み方であり、人間的な計画――自分自身のものでも他者のものでも――に支配されるのではなく、神のお働きに自分を開く助けとなります。レクツィオ・ディビナには、読むこと、思いを巡らすこと、(神に)語ること、そして沈黙が含まれ、私たちを語ることと聴くことのリズムに招きます。読み始める前の沈黙は、心の内なる混乱を静め、聴く準備を整えます。途中で随所にはさまれる沈黙は、神が語られるときに注意深く耳を傾ける助けとなります。また自分自身の内的な動きを見いだし、それを神の臨在のもとで探る余地をつくります。

 レクツィオ・ディビナには4つのステップがあります。まず、1~2分沈黙の時間をとって、心を静めてから始めましょう。




  1. Lectio レクツィオ (読む):言葉ひとつひとつ、文節ひとつひとつに注意を払いながら、ゆっくりと味わいながら読む。できれば声に出して、ゆっくりと朗読する。自分が抱えている問いや困難に対する答えを見いだそうとするのでなく、テキストについて自分がすでに知っていることも脇に置き、神さまは今日、この箇所を通して私に何を語ってくださるのか、与えられるものを受け取るつもりで読む。「心の耳で聴く」という言い方もされる。この箇所を通して語っておられる聖霊の静かな御声に耳をすましながら読む。茶の湯で、お茶をたてる前にまずゆっくりと茶器をながめてその色合いや手触り、重さなどを確かめ、愛でるように、みことばをゆっくりと味わう。そうやって読んだとき、特に自分の心に印象深く迫ってくる言葉やフレーズ、文章に注意を払う。評価や分析をせず、ただシンプルに、開かれた心で聴く。

  2. Meditatio メディタツィオ(黙想する、思いをめぐらす、口ずさむ):読んだ箇所から、特に心に留まった言葉・フレーズ・文章に思いをめぐらし、その言葉が自分の人生の「今」にどうつながるかを聴き取る。その部分を、牛が草を反芻するように暗記するくらいに何度も繰り返してみる。そうしているうちに、その箇所が深く心に降りて来て、何か気づかされるものがあるかもしれない。何らかのイメージが湧いてくるかもしれない。いま私の人生の中で、この言葉を必要としているのはどの部分だろうか。その言葉あるいはフレーズを通して、神様は今日、私にどんな招きをしてくださっているだろうか。どんなギフトを差し出してくださっているだろうか。

  3. Oratio オラツィオ(祈る):もう一度その箇所を読み、今度は最も深く真実な自分の応答に耳を傾ける。そして、心からの祈りを、ありのままに、できる限り真実に流れ出させ、神との個人的な対話に入る。心に留まった言葉(フレーズ)と、そこから語られたことが、自分の霊に触れ、キリストに似た者へと内側から変えてくださるように求める。何かを祈ろうと言葉をどんどん並べるのでなく、聖霊が静かに語っておられることに、自分の霊で応答する感じで祈る。感謝や賛美かもしれない。問いかけや嘆願かもしれない。ひと言ふた言祈り、しばらく静まって神さまの応答を待ち、またそれに対して自分も応答する、という形の祈りになるかもしれない。聖霊に主導していただく。神が何か応答や行動を促しておられる感覚に注意を払う。

  4. Contemplatio コンテンプラツィオ (観想する):恋人同士が見つめ合うように、幼な子が親に抱かれて安心するように、主の臨在の中で憩い、安らぐ。もはや何かを語ろうとか聴こうとかするのではなく、自分を包んでくださる主の御腕に自分を預け、主の愛と慈しみを味わう。もはや何かを語ろうとか聴こうとかするのでなく、ただ主の臨在、自分を包んでくださる主の御腕に自分を預ける。神さまからの招きを受け入れ、今、自分は神さまの臨在の中にいるということを、ただ楽しむ。


 これらのステップを、先を急がずに、ゆっくりと行います。これらのステップは規則ではないので、厳密に1から4のステップまで順番に追って、4まで来たらおわり、というものである必要はなく、行きつ戻りつがあるかもしれません。実際、「ステップ」というよりは、ダンスの「ムーブメント」に近いかもしれません。私たちがダンスを習うとき、最初は「正しく動くこと」に気を取られ、その動きはぎこちないものです。しかしいったん動きを習得したなら、ダンスの流れに乗り、即興を楽しみ、共に踊る人との喜びを味わうようになります。


 レクツィオ・ディヴィナも同じです。始めたばかりの頃は、手順を守り、正しい順序で進めることに注意を払うでしょう。しかしやがて、御霊のリードに委ね、流れるように、美しく、喜びに満ちた動きとなります。


 ですから、自分の心の内に働いてくださる御霊の動きに注意を払いながら読み、聴き、祈りましょう。あせらず、あわてず、ゆっくりと。静かに。


 なお、レクツィオ・ディビナは、みことばだけに適用されるものではありません。同様の聖なる読み方を、たとえば詩や、歌の歌詞や、霊想書からの数行などを用いて行うこともできます。


 さらに、テキストを用いる代わりに、絵画や風景などを見ることを通して神様に聴く、ヴィジオ・ディビナ(Sacred Seeing)という祈りの方法もあります。



 レクツィオ・ディビナについてさらに詳しく知りたい方は、この本がわかりやすいと思います。
-目からウロコ 聖書の読み方―レクチオ・ディヴィナ入門 



また、このような聖書の読み方の背後にある姿勢については、『神のことばによって形造られるーー霊的形成における「みことば」の力』(M・ロバート・マルホーランド)もご参照ください。

「聖書のことばは、愛する人の言葉のように、一日中あなたの耳に響き、あなたの中で働き続けなければなりません。そして、愛する人の言葉を分析せず、そのまま受け入れ、心に思い巡らすように、聖書のことばもそのまま受け入れ、心に蓄えなさい。マリアがそうしたように。それで十分なのです……『どうやってこれを他の人に伝えるべきか』ではなく、『これは私に何を語っているのか』と問うのです。そしてその言葉があなたの中に深く入り込み、あなたをとらえるまで、長く心に思い巡らしなさい。」
ディートリッヒ・ボンヘッファー『共に生きる生活』