ミルトスの木かげで

シカゴ在住のキリスト教書翻訳者中村佐知(はちこ)のブログです。

タグ:教会暦

 テネブレ(Tenebrae)、というものを、今年初めて知った。 「テネブレ」とは、ラテン語で「暗やみ・影」を意味し、カトリックの典礼の一つで、受難週の最後の三日間(木曜日、金曜日、土曜日) に、キリストの受難と死を記念して行うものだそうだ。  15本のロウソクを ...

先週末は、南カリフォルニアでJCFN主催の沈黙のリトリート、C-WIT So Cal18に参加してきました。約三十人が集まり、幸いな一日を過ごしました。C-WITは何かを学ぶためのDoingの集まりではなく、ただ"Being"に浸る時間です。 参加者の皆さんには、信仰の歩みの中における今の ...

今年も、バイオラ大学のレントプロジェクトをレントのデボーションに使っている。先週(木曜日から土曜日まで)は「自分を知る」というテーマ、そして今週は「悔い改め」というテーマ。いくつか紹介されていた祈りが心に響いたので、ここに書き留めておく。 Almighty God, w ...

 I invite you, therefore, in the name of the Church, to the observance of a holy Lent, by self-examination and repentance; by prayer, fasting and self-denial; and by reading and meditating on God’s holy Word. And, to make a right beginning of repen ...

私たちが神の子どもと呼ばれるために、――事実、いま私たちは神の子どもです――御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかに ...

 ここ数年、ずっと購入している教会暦カレンダー。来年度(今年のアドベントから始まる)のものが送られてきた。今回のも素敵。 通常のカレンダーのように一年間を一ヶ月ごとに区切るのではなく、アドベント(待降節)、クリスマス、エピファニー(顕現節)、レント(四旬 ...

今日は、教会暦では「三位一体の主日」と呼ばれる日曜日。終わりに、兄弟たち。喜びなさい。完全な者になりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。聖なる口づけをもって、互いに ...

五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。 また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてく ...

さて、そこでイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就するということでした。」そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの ...

(ブログ休みますと言った直後ですが、このシリーズだけは続けたほうがいいと思ったので…)これらのことを話している間に、イエスご自身が彼らの真ん中に立たれた。彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った。すると、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。 ...

彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を ...

この後、イエスはテベリヤの湖畔で、もう一度ご自分を弟子たちに現わされた。その現わされた次第はこうであった。シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子たち、ほかにふたりの弟子がいっしょにいた。シモン・ペテロが彼らに言っ ...

(カラヴァッジョ 「キリストの埋葬」)そのあとで、イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだを取りかたづけたいとピラトに願った。それで、ピラトは許可を与えた。そこで彼は来て、イエスのからだを取り降ろし ...

ヨハネによる福音書18章1節から19章42節まで見よ。わたしのしもべは栄える。彼は高められ、上げられ、非常に高くなる。多くの者があなたを見て驚いたように、――その顔だちは、そこなわれて人のようではなく、その姿も人の子らとは違っていた――そのように、彼は多 ...

 さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとす ...

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