ミルトスの木かげで

シカゴ在住のキリスト教書翻訳者&霊的同伴者、中村佐知のブログです。

カテゴリ:suffering

ベス・ムーアのX(旧ツイッター)のポストより。 I don’t say these words tritely but with much thought over recent years. The best counsel I have for any of us walking through something we basically feel we cannot bear is to walk through it with the Lord. I ...

先日お知らせしたFEBC Japanに出演させていただいたときの続きが、1月27日に放送されたようです。「交わりのことばーー苦しみのサクラメント」 1ヶ月間聴取可能だそうです。ところでこちらは、先日夫と二人でシカゴ大学のスマート美術館に行って、ルース・ダックワース(1919 ...

明けましておめでとうございます。2024年になりましたね。あまりブログを更新しなくなってしまいましたが、それでも読みに来てくださるみなさまには心から感謝です。本年もよろしくお願いいたします。このブログも、その前身の「ウェブ日記」時代から数えると、今年の5 ...

View this post on Instagram A post shared by H E N R I N O U W E N (@henrinouwensociety) 私たちの栄光は痛みのうちに隠されている。痛みを体験するとき、神がそこにご自身という贈り物をもたらしてくださるのを受け入れるならそこに栄光を見るこ ...

日本ナザレン教団鹿児島キリスト教会牧師の久保木聡先生が、拙著『隣に座って:スキルス胃がんと闘った娘との11ヶ月』のご感想をフェイスブックに投稿してくださいました。先生の許可をいただき、こちらでも紹介させていただきます。久保木先生、丁寧にお読みくださり、本 ...

 山火事の多いカリフォルニアで、史上最悪の被害と言われている「キャンプ・ファイヤー」(火事の発生した場所がキャンプクリークロードという場所だったため、そう呼ばれている)。パラダイスという名の町では死者60人以上、消息不明者600人以上、消失した建造物(家 ...

数日前のブログで、みんの死そのものをblessings in disguiseだとは思わない、と書いた。Blessings in disguiseとは、最初は悪いことのように思えても、 実はそれは祝福が姿を変えたものだった、つまり、良いことだった、というような意味。世の中には、確かにblessings in d ...

今、読んでいる本の中に、こんな印象に残るエピソードが記されていた。子どもがハート型に切り抜いた白い紙とセロテープを持ってきて、「私の胸に貼り付けて」と頼んだ。母親は、子どもの前にひざまづくように座り、手のひらサイズのハート型を、子どものちょうど心臓のあた ...

キリストは、 神の御姿であられるのに、 神としてのあり方を捨てられないとは考えずご自分を空しくして、 しもべの姿をとり、 人間と同じようになりました。人としての姿をもって現れ、 自らを低くして、 死にまで、 それも十字架の死にまで従われました。それゆえ神 ...

 闇の中を歩んでいた民は、大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝く。あなたはその国民を増やし、その喜びを増し加えられる。彼らは、刈り入れ時に喜ぶように、分捕り物を分けるときに楽しむように、あなたの御前で喜ぶ。あなたが、彼が負うくびきと、 ...

しばらく前の、リチャード・ローアのDaily Meditationより。とても心に留まった箇所なので、しばらく思いを巡らすためにメモ。Finley describes God as “the infinity of the unforeseeable; so we know that [the unforeseeable] is trustworthy, because in everything, G ...

 昨日の午後、二階の廊下のカーペットをスチームクリーニングしていたら、突然、抑えていたものが噴き出すように、心の奥から湧き上がってくるものがあり、私の現在の苦しい心境を吐き出すようにして神様に向かって訴えた。大声で。 神様は無言だった。 いつもならこんな ...

 昨日は突然思い立って、夫とシカゴ美術館に行ってきた。私にとっては5年ぶりくらい、夫は、3年前にみんとま〜やと三人でマグリット展を見に行っている。そのときにみんが買ったポスターは、今でもみんの部屋に貼ってある。  美術館を1日ですべて観て回るのは大変(と ...

 今年はどういうわけか、レント(受難節)が来るのをとても心待ちにしている。今年は3月1日から。 みんがステージ4のガンの診断を受けたのが、2015年の4月6日、復活祭の翌日だった。この年のレントは特に祈りに集中したくてFacebookをお休みしていた。(2015 ...

 みんを失ったことで今私が感じている痛みは、実は産みの苦しみなのではないかと、ふと思い至った。 「ママ、がんばって。」 みんが励ましてくれているように思う。それは、「泣かないで」「悲しまないで」ではなく、産みの苦しみをしている私のそばにみんが寄り添って、 ...

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