ミルトスの木かげで

シカゴ在住のキリスト教書翻訳者中村佐知(はちこ)のブログです。

カテゴリ:霊的形成

 金曜日に、「舟の右側」に連載している記事の5月号用の原稿を編集者さんに送った。今回は「霊的識別」について書いた。そしたら、なんとこれから発売される4月号に、イエズス会の英隆一朗神父による「霊的識別」の講演をまとめた記事が掲載されるのだそうだ。昨年10月 ...

 この数日、花に囲まれて過ごしている。 多くの方たちが花や、いろんなギフトをみんのために送ってくださった。  日曜日に来るはずだったEちゃんは、準備が間に合わなかったということで、昨日来てくれた。お花と、リラックマと、大きなクッキーと、スクラップブック(ア ...

 今日は灰の水曜日。額に灰を塗って祈ってもらいたくて、今朝、夫と二人で近所のカトリック教会のミサに出席してきた。 メッセージの中で、40日間のレント(四旬節)のあとは、イースターが50日間続き、それからペンテコステ(五旬節)が来る、と言及されていて、そう ...

 先日、ある友人とスカイプで話した。まったりと会話する中で、話題が祈りや苦しみの意味、そして宣教に及んだ。最近、祈りについて、特にとりなしの祈りや請願の祈りについていろいろ考えていたので、そのあたりの私の思いを分かち合った。 祈りがかなえられれば、祈った ...

 先日、みんのお友達のヴァレリー(仮名)が手作りの石鹸を持ってきてくれた。彼女は最近、手作り石鹸を売るビジネスを始めたらしい。(彼女の手作り石鹸)  私はみんにヴァレリーという友達がいることは、みんが病気になるまで知らなかったのだけれど、ヴァレリーはみん ...

 今年はどういうわけか、レント(受難節)が来るのをとても心待ちにしている。今年は3月1日から。 みんがステージ4のガンの診断を受けたのが、2015年の4月6日、復活祭の翌日だった。この年のレントは特に祈りに集中したくてFacebookをお休みしていた。(2015 ...

 去年のバレンタインデーは日曜日で、みんが退院してきた二日後だった。この週末は、エミとま〜やも急遽帰宅してくれていた。そこで私たちは、教会に行くかわりに自宅で短いファミリーディボーションの時を持った。思えば、子供たちが小さいときは、週一くらいでやっていた ...

 今日のリチャード・ローアのDaily Meditationの中にあった祈りについての記述が心に留まったので、メモ。  「祈り」ということばは、自分が求めるものを請願するための方法、あるいは神に何かを伝えるための方法を表現するものに矮小化されてしまうことがよくある。まる ...

 遠藤周作原作、マーティン・スコセッシ監督の「沈黙(サイレンス)」が周囲で随分話題になっています。 私も1月に入ってすぐに、ま〜やと二人で観に行ってきました。数年前に映画化の話を聞いたときからずっと楽しみにしていましたし、原作に忠実な、期待を裏切らない出 ...

聖書は外国人の扱いについて何と言っているか、メモ。もしあなたがたの国に、あなたといっしょに在留異国人がいるなら、彼をしいたげてはならない。あなたがたといっしょの在留異国人は、あなたがたにとって、あなたがたの国で生まれたひとりのようにしなければならない。あ ...

Facebookに朴ヨンス先生が投稿なさっていたお話です。とても心に響いたので、許可をいただいて転載させていただきます。パク先生、ありがとうございます! ある週末の午後、ある牧師に週報を任されている印刷会社から電話があった。 「牧師先生、送って下さった内容の中で ...

 昨日は私のスピリチュアル・ディレクションのセッションがあった。 昨日のセッションでは、体を動かすことについて話した。私はどちらかというとintenseなthinkerなので、放っておけば、じっと座ったままでいくらでもずっと考え事をしてしまう。ヘビーなことを考えている ...

 みんを失ったことで今私が感じている痛みは、実は産みの苦しみなのではないかと、ふと思い至った。 「ママ、がんばって。」 みんが励ましてくれているように思う。それは、「泣かないで」「悲しまないで」ではなく、産みの苦しみをしている私のそばにみんが寄り添って、 ...

 今日は、公現祭(the Feast of the Epiphany)に行われるという、Chalking the Doorsと呼ばれる家庭を祝福する習慣について学んだので、書き留めておく。 ドアの上などに、チョークで 「20+C+ M+ B+17 」と書いて、2000年前に星が三人の博士たちをキリスト ...

 先日の記事(「問い」)について、友人の古川牧師から、次のようなコメントをいただきました。とても心に沁みたので、許可をいただいて、ここに書き留めさせていただきます。 僕は、息子が亡くなった時、「こんなことは神の御心ではない。神も悲しんでくださっている、と ...

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