ミルトスの木かげで

シカゴ在住のキリスト教書翻訳者&霊的同伴者、中村佐知のブログです。

カテゴリ:Practices

私たちは、賛美することや感謝することについてはよく教えられていますが、嘆き悲しむ(ラメントする)ことについてはどうでしょうか。教えられていないどころか、むしろ不信仰であるかのように言われてきたかもしれません。しかしラメント、つまり神の御前で嘆き悲しむとは ...

ビーズは、カトリックのロザリオ、仏教の数珠、イスラム教やヒンズー教のマラなど、昔からいくつかの宗教で祈りのツールとして用いられてきました。祈りのツールとしてのビーズは、ビーズそのものに力があるとみなされるのではなく、祈りの言葉を繰り返すときにその数を数え ...

想像力を使った祈りとは、イグナチウス・ロヨラが教えた「霊操」の中で用いられていたもので、特に福音書を読むときに適した祈り方・読み方です。(*霊的修練では、レクツィオ・ディビナもそうであったように、みことばを読むことと祈ることは、しばしば同時に起こります。 ...

エグザメン(意識の究明)は、神の御臨在の中で神とともに自分の1日を振り返る祈りです。ー1日を振り返るエグザメンこの応用として、一年を振り返るエグザメンもできます。(1)静まって、今このとき、自分が神様の御臨在の中にいることを覚えます。神様が今、あなたのこ ...

 レクツィオ・ディビナ が御言葉を読むことを通して神様と出会い、その御声に耳を傾けるのに対し、ヴィジオ・ディビナでは、画像などを見ることを通して神様と出会い、その御声に耳を傾けます。 レクツィオ・ディビナが「聖なる読書」なら、ヴィジオ・ディビナは「聖なる注 ...

 私たちは、日々の生活の中で不安や恐れ、悲しみ、怒り、いらだち、絶望感など、不快な感情に襲われることが少なからずあるものです。日常で体験する何らかのことが引き金となって、強い感情が湧き上がることもあります。そのようなとき、「闘争か、逃走か」のモードに入り ...

センタリングの祈りは、観想的な祈りというギフトを受け取るための受容力を整えて、観想を深めることを促すために考案されました。それは、昔からあった教えを、より現代に即した形で提供することを試みたものです。センタリングの祈りは、ほかの種類の祈りに取って代わるも ...

 以前にもExamen(エグザメン)について書いたことがあるけれど(こちらやこちら)、最近クラスで習ったシンプル版をメモ。ポイントは同じ。 一日の終わりにその日を振り返って、二つのことについて自問する。(1)いつ私は慰め(consolation)を感じただろうか。   ( ...

(IgnatianSpirituality.comより) Examen(エグザメン)とは、イエズス会の聖イグナチオが教え、実践していた振り返りの祈りの方法で、日本語では「意識の究明」と言います。生活の中における神様の愛に満ちた御臨在(現存・presence)を意識し、御霊の動き・導きを識別で ...

 「呼吸の祈り」とは、自分の呼吸に合わせて祈るシンプルな祈りです。いつでもどこでも祈ることのできる単純な、それでいて力強い祈り方です。パウロが「絶えず祈りなさい」と言ったとき、彼が想定していたのはこのような祈りだったのかもしれません。 歴史的には、紀元4 ...

 レクツィオ・ディビナとは、「聖なる読書」という意味で、聖ベネディクトが砂漠の教父の影響を受けて始めたと言われる、古代から用いられていた、祈りをもって御言葉を読む方法です。(または、御言葉を読みながら祈ると言ってもいいかもしれません。)御言葉を章単位 ...

“I am the way and the truth and the life.”  John 14:6ラビリンスについて  ラビリンスの歴史は古く、紀元前にまで遡り、これまで様々な霊性の伝統の中で、黙想の手段の一つとして用いられてきました。キリスト教では、中世に、諸事情でエルサレムに巡礼に行けないク ...

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