ミルトスの木かげで

シカゴ在住のキリスト教書翻訳者中村佐知(はちこ)のブログです。

カテゴリ:Lament for a daughter

 月曜日の晩にカリフォルニアから戻りました。 多くの方々のお祈りに支えられ、とても祝された修養会、カリフォルニアの旅となりました。 今回の修養会のテーマは、「祝福の基となる こぉーんな生き方あったのか」で、ハワイのホノルル教会の関真士先生が御言葉から全部 ...

 乳がんで闘病されていた小林麻央さんが日本時間の22日の夜、ご自宅で亡くなられた。 麻央さんの闘病ブログは、半年ほど前にその存在を知り、時々読ませていただいており、春に入院され、5月末に退院して自宅介護になってからは、頻繁に読むようになっていた。自宅介護 ...

 先週は、月曜日から金曜日の午前中まで、JCFNの理事会で留守にしていました。 普段はたいていカリフォルニアで理事会を持つのですが、今回はシカゴにて。ダウンタウンのバケーションレンタルハウスを借りて、理事六人と代表主事一人がそこに宿泊、ちょっとした缶詰状態で ...

 明日は28回目の結婚記念日。今日は1日早く、お祝いのディナーに行ってきた。シカゴのムーディー聖書学院の近くにあるBistro Voltaire というお店。本当は、別のお店に予約を入れるはずだったのに、間違えてこちらに予約してしまったという。そして、お店に到着するまで ...

  2年前の4月の第1週、エミの誕生日を祝うためにパパと二人でNJに旅行中だったみんは、背中の激痛におそわれて救急病院に運ばれた。そこでの検査で、背骨(首のあたり)に圧迫骨折があることと、複数のリンパ節が腫れていることがわかり、悪性リンパ腫かもしれないので即 ...

 この数日、花に囲まれて過ごしている。 多くの方たちが花や、いろんなギフトをみんのために送ってくださった。  日曜日に来るはずだったEちゃんは、準備が間に合わなかったということで、昨日来てくれた。お花と、リラックマと、大きなクッキーと、スクラップブック(ア ...

パウロはローマ書8章で、被造物全体が贖われることを切望して、うめきとともに産みの苦しみをしていると主張している。被造物は良いものだが、神ではない。美しいが、その美しさはつかの間のものである。痛みの中にあるが、その痛みは神のお心の中に取り込まれ、新しい誕生 ...

 今日は、マイケル(みんのボーイフレンド)とマイケルのお母さんと三人でランチをしてきた。マイケルは私にとって盟友であり、みんに関していちばん思いを分かり合える人なので、今日一緒に時間を過ごすことができてよかった。泣いたり笑ったりしながら、静かで幸いなとき ...

 今年はどういうわけか、レント(受難節)が来るのをとても心待ちにしている。今年は3月1日から。 みんがステージ4のガンの診断を受けたのが、2015年の4月6日、復活祭の翌日だった。この年のレントは特に祈りに集中したくてFacebookをお休みしていた。(2015 ...

 去年のバレンタインデーは日曜日で、みんが退院してきた二日後だった。この週末は、エミとま〜やも急遽帰宅してくれていた。そこで私たちは、教会に行くかわりに自宅で短いファミリーディボーションの時を持った。思えば、子供たちが小さいときは、週一くらいでやっていた ...

 アメリカのお葬式は、やはり教会で行われることが多い。しかしたいていの町にはfuneral homeと呼ばれる斎場があり、お葬式の前日に故人にお別れを言うための、日本で言えばお通夜のような儀式(wakeとかviewingとか呼ばれる)はそこで行われるのが一般的だ。 みんもうちの村 ...

 先日みんの高校のプロジェクトの手紙が送られてきた話がBuzzfeedの日本版と英語版の両方で取り上げられたところ、かなり読んでいただけたようで、今日はなんと、ABCnewsのライターさんから連絡をいただいた。彼女いわく、「あなたがFacebookに投稿したしたものを読みました ...

 何となく元気がでなくて、1年前の家族間のテキストメッセージを読み返していたら、こんなのを見つけた。 2月13日というと、退院して自宅に戻ってきた翌日。夕方4時20分にみんが「祈って」とテキストして、夫が「We prayed」と返事しているというのは、どういうシチ ...

 先日、びっくりするようなことがあった。高校の封筒で、みん宛に二通の封書が届いたのだ。 今でもみん宛の郵便が届くことは時々あるので、またかぁ…と思いつつ、高校からとは一体なんだろう?と思いつつ、封を開けた。 それは、みんが高校生のころに英語の授業の宿題と ...

 子を失った悲しみには、どんな慰めの言葉にもそう簡単には慰められない偏屈さがある。どんな説明も受けつけられない頑固さがある。 先日、今、私が感じている娘を失った痛みは、産みの苦しみなのかもしれないと書いた。この悲しみの中から生まれ出でようとしている何かが ...

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