今日は、5月末にシカゴで持たれたJCFNセントラルカンファレンス(CC)、そして7月上旬のJCFN25周年記念ホノルルカンファレンスでお話しさせていただいた証に多少言い回しなどの修正を加えたものを、お分かちさせていただきます。

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 ここにおられる方々のほとんどは、おそらくすでにご存知かと思いますが、去る3月5日、午後12時52分、私の次女の美穂が主のもとに帰りました。21歳でした。美穂は、昨年の4月6日にステージ4の転移癌の診断を受け、その後スキルス胃がんであることがわかりました。スキルス胃がんとは、通常の胃がんよりも8倍くらい進行が早いと言われ、特に治療の難しい癌です。診断されたときは、すでに背骨と複数のリンパ節への転移がありました。完治は無理で、その時点で、余命は数ヶ月から数年だろうと言われました。しかし、まさか本当にわずか11ヶ月で私たちの前からいなくなってしまうとは、夢にも思いませんでした。

 美穂は、高校生のころにうつになり、ずっと治療を受けていました。希死念慮が強くなって入院したことも二回ありました。よくなってきたかと思うと、また悪くなることを繰り返し、それが5年あまり続いていました。これだけ苦しい思いをしつつもいろいろ学んでいるのだから、神様はきっと彼女のこの体験をも益として、他の人たちを祝福するために美穂を使ってくださるのだろう、そう思いながら、ずっと彼女の鬱の癒しを祈っていました。美穂もそのように信じて治療に励んでいました。しかし鬱がひどくなると何日も寝込み、この子の将来はいったいどうなるのだろう?と不安になるときもたびたびありました。数年越しで美穂の鬱の癒しを求めて祈る中で、昨年の1月ごろ、神様にこう語られました。「わたしはあなたの願いも恐れもすべて知っている。しかし、もしあなたの求めるものが何一つ与えられないとしても、もしも美穂の鬱がこのまま癒されなくても、部屋にこもりきりのままで一生を終えるとしても、それでもあなたはわたしを愛するか? それでもわたしはあなたにとって充分か? Am I enough for you?」と。それはショッキングな問いかけでした。私はイエス様の何を信頼し、何を愛しているのか… それを問われたも同然だったからです。しばらく葛藤がありましたが、私は、たとえ私の求めるものが何一つ与えられないとしても、美穂がこのまま癒されないとしても、それでもあなたを愛します。あなたは私にとって充分なお方です」と祈りました。

  

 そんなふうに祈ると、「そのあと、状況が好転したのです!」というのが証としてありそうな話ですが、私の場合はそうではありませんでした。そのように祈ったわずか数ヶ月後、美穂がステージ4のガンの宣告を受けたのです。わけがわからないと思いました。私の願うものが与えられないとしても、とは祈りましたが、まさかガンになるとは。青天の霹靂でした。


 十一ヶ月にわたる闘病は、彼女の病状も、私の気持ちも、ローラーコースターのようでした。背骨にもガンによる圧迫骨折があったため、まずは放射線治療を受けました。それから化学療法を始めました。化学療法は功を奏し、約5ヶ月の治療で、腫瘍マーカーの値が劇的に下がりました。抗がん剤はどうしても副作用が辛いため、症状が改善されマーカーの値も下がったこともあり、娘はしばらく治療を休むことを希望しました。昨年の10月の初めのことでした。

 そのころは、治療さえ休めば、かなり普通に暮らすことができました。しかし11月の半ばに、また首のリンパ節にしこりを感じるようになりました。そして12月の上旬にCTスキャンを受けたところ、肝臓に転移していることがわかりました。その時点では、チェックポイント阻害療法という最新の治療法を、臨床試験で受けることになりました。とても期待の持てる治療法ということで、医師も本人も私たちも、みな希望を持ちました。しかし、臨床試験は一種の実験なので、条件を整えるためにいろいろな準備が必要でした。そして準備をしているうちに、娘の容体は急速に悪化し、結局、臨床試験に参加できる条件から外れてしまいました。


 肺と心膜嚢に水がたまり、急いで手術しないと命にも危険が及ぶ状態になってしまったため、12月末に入院しました。入院は5週間にわたり、その間に症状に対処するための手術を全部で7回受けました。しかしいくら処置をしても後手に回るばかりで、ガンはどんどん広がり、2月上旬には、もう手の施しようがない、治療は諦めて自宅で緩和ケアを中心としたホスピスケアに移行したほうがいいと言われました。それだけでも十分ショックでしたのに、その後1週間足らずのうちに病状はさらに悪くなり、ついに、もう自宅に戻ることすら難しいだろうと言われました。それが今年の2月9日でした。


 私はフェイスブックやブログで多くの方にお祈りをお願いしていたのですが、そのときも大勢の方達に、何とかもう一度家に帰って来れるようにとお祈りをお願いしました。そしてみなさんの祈りが聞かれ、なんと翌日には美穂の状態が劇的に好転しました。そして、もう自宅には戻れないかと思ったにもかかわらず、その三日後には退院することができ、自宅でのホスピスケアが始まりました


 ところで、娘のガンが発覚する1年くらい前から、私は「観想的な祈り」という祈りを実践するようになっていました。これは、言葉や思考をあまり用いず、ただ神様の御臨在の中に自分を置く祈り、神様の愛を味わう祈りです。私にとっては、憐れみに満ちた善なる主にすべてを明け渡す祈りでもありました。


 自分の生活の中で、またこの世の中では、様々なことが起こります。そこには多くの不条理もあります。震災で大勢の人が亡くなることもそうですし、娘の病気のような場合もそうです。なぜそのようなことが起こるのか、理解しようとしても理解できません。しかし観想的な祈りで主の前に出るときは、そのような不条理を見て見ぬふりするのでなく、正面から見据えます。そこにそういう状況があることを見据えます。しかし、それを理解しようとか説明を得ようとするのではなく、ただその不条理を心に抱きます(holdする)。それは、両手で何かをそっと包むように持つイメージです。握りしめるのではなく、拒絶するのでもなく、そっと手の上に乗せる感じです。そうやって神様の前に出ていきます。自分には理解できないような状況の中にさえおられるはずの神様のご臨在の中で安らぐのです。

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 その祈りにはたくさんの沈黙があります。感情で高ぶる自分の思いを静めるための沈黙、神さまを待つための沈黙、そして、ただ主の慈愛に満ちた御臨在を味わい、その中で憩うための沈黙… 私が沈黙するだけでなく、神さまの側も沈黙なさいます。それは、私の祈りを無視しているのではなく、私の痛みに無関心なのではなく、私の知性や経験では理解しえないこと、説明しえないことを、その御臨在によって私の魂にしみ込ませようとしておられるかのような、神さまの満ち満ちた優しい沈黙です。先に、娘の鬱のことで祈っていたとき、「あなたは私に十分です」と告白したとお話ししましたが、それも観想的な祈りの中で自然と出てきた告白でした。


 娘の闘病中は、癒しを求めて祈りましたし、娘の症状に合わせていくつもの具体的な請願の祈りもしました。それでも、私をずっと支えてくれていたのは、請願の祈りよりも、この沈黙の祈りだったのだと思います。美穂を私の手にholdしつつ祈るとき、神様の御臨在の中で、あるときは、「大胆に求めてごらん」と励まされ、あるときは私がほかの人のために執りなすよう導かれ、あるときは、御腕の中でただ泣かせていただきました。


 そのように祈るとはは、癒しを求めないとか、どうせ神様の思うようにしかならないと諦めてしまうことではありませんでした。むしろ、私にはまだ見えない、想像することもできないような、大いなる神様の御栄光が現されることを、息をひそめながら待つようなことだったかもしれません。そして、神様の御栄光が現されるとは、苦しみや試練を通してこそ出会えるイエスというお方が、痛みの中にいる私の内に照らし出されることだったのかもしれません。 そうやって主の御臨在の前に膝をかがめることだったのかもしれません。


 娘は信仰は持っていましたが、まだ21歳でした。死にたくないと思っていました。神様が自分に与えてくれた賜物やユニークな経験を用いて、この世の中で特権を与えられていない人たちのために働きたいと願っていました。そして、神様はガンを癒してくださると信じていました。

 結局、美穂は自宅に戻ってから、1ヶ月も経たずに主のもとに帰りました。しかし、私たちに与えられたその3週間ほどの自宅での時間は、とても貴重なものでした。よく、末期ガンの最期は壮絶だと言いますが、残念ながら娘の場合も例外ではありませんでした。娘が亡くなる日の明け方、彼女は自宅で大量の吐血をしました。そして、何か恐ろしい幻覚を見ていたようで、「Help me! Help me! Please stop!」と叫んでいました。ベッドから起き上がって逃げようとするのですが、もう足腰が弱っていて、ベッドサイドにつかまっても立ち上がることすらできず、倒れ込みました。そのときの、焦点が合わないままにカッと見開かれ、宙を睨む娘の目を見たとき、私は彼女の死が近いことを覚悟しました。あんなに大勢の方たちが世界中で心を注いで祈っていてくださっていたのに、なぜ?と、絶望に襲われました。そして心の中で叫びました。「わが神、わが神、なぜ私と美穂をお見捨てになったのですか?」

 しかし、神様に見捨てられたかのように感じて絶望したその瞬間、私はイエス様の御腕が私を包んでくださるのがわかりました。イエス様ご自身の苦しみのうちに、娘と私の苦しみが包み込まれたのです。そして、イエス様の十字架の苦しみを見て涙を流されたであろう御父が、血を吐きながら苦しむ娘と、まったくなすすべのない無力な母親の私を見て、涙を流しておられるのを感じたのです。この苦しみの只中で、主ご自身が私たちに寄り添ってくださっているのがわかりました。今あの晩のことを振り返るとき、あんなにも恐ろしく絶望に満ちたかのような状態だったにもかかわらず、私の記憶の中では、あの場面が聖なるものとして思い出されます。まるで神の栄光の雲があの部屋を満たしていたかのように。

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 美穂は本当に立派に戦いました。神様の癒しを信じて、ずっと前向きでした。彼女が不安や恐れを口に出すことはほとんどありませんでした。怖くないはずがなかったでしょうに、周囲への気遣いだったのか、それとも前向きでありたいという決意からだったのか、決して弱音をはきませんでした。麻薬系の強い薬を15分に一回使うくらいの痛みになっていたときでさえも、静かにじっと耐えていました。そして、息をひきとる前に、最後に彼女が言った言葉は、I love youでした。敵は美穂に神を呪わせたかったことでしょう。しかし美穂は屈さなかったのです。家族に見守られつつ、愛の言葉でこの地上でのいのちを終えました。そのとき、美穂は私の腕の中にいたのですが、私の腕の中からイエス様の腕の中へと、娘をお渡しすることができたのだと思います。

 しかし、私のストーリーはこれで終わりではありません。これで一件落着ではありませんでした。

 私は先ほど、観想的な祈りを通して、自分が置かれている状況を手のひらにそっと乗せるようにして祈っていたと言いましたが、娘のことも同じように、私の両手の平に乗せて祈っていました。私としては、美穂の命は神様の御手に委ねていたつもりだったのです。美穂は神様からのギフトであり、神様のものなのですから、美穂のいのちも主の前にholdしていました。そうやって祈っているとき、もはや何がなされるとか、なされないとか、そういうことはそんなに重要ではなくなっていくように感じていました。そのときに与えられた平安は、誰も、何ものも奪うことはできないと思いました。本当にそう思っていました。

 ところが、いざ娘が死んでしまうと、その現実はとても「平安」の一言で済ませられるものではなかったのです。その悲しみ、痛みは、私の想像をはるかに上回るものでした。心には後悔の念が押し寄せます。あのときああしていればよかった、こうしてあげればよかった。毎日泣きました。ただ、私が心がけていたことは、後悔するにしても、泣くにしても、すべて主の前に出てするということでした。私にとって、そこがいちばん安全な場所だったからです。

 私は美穂を私の手にホールドして祈っていました。そうしたら、神様が美穂をお取りになったのです。私の手の上に乗せていた愛しい娘が、いなくなってしまったのです。死んでしまったのです。多くの方たちが美穂の闘病と死を通して神様に触れられた、神様の御栄光を見たとおっしゃってくださいました。そのことには心から感謝し、主の御名をたたえます。けれども一方で、別の思いも湧いてきました。それは、美穂の闘病や死をきっかけにどんなにすばらしいことが起こっても、私にとってそれは美穂の死を正当化するものにはならないということでした。いくら神様が彼女の死からたくさんの素晴らしいもの、美しいものが生み出してくださったのだとしても、それと引き換えに死んでしまった娘の人生はどうなるのでしょうか。頭では天で主と共にいるとわかっていましたが、それでも私は神様に尋ねずにはおれませんでした。すると神様は、祈りの中で私にある状況を見せてくださいました。それは、娘と娘の犬が楽しそうに遊んでいる場面でした。


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 その場面が浮かんできたとき、神様が「美穂は大丈夫だよ。彼女のwell-beingは心配しなくていいよ」と語ってくださったように感じました。さらに、神様は「Hidden with Christ in God」(コロサイ3:3)の御言葉を与えてくださいました。美穂は今、キリストとともに、神のうちに隠されているんだよ… 神様はそうおっしゃっているのだと感じました。そして、深い慰めをいただきました。


 私は今でも、時々泣いています。もう毎日泣くわけではありませんが、それでもまだまだ泣く日もあります。後悔の思いも、相変わらず時々出てきます。私の中でいくつかの未解決の問題もまだあります。それでも、共にいてくださるイエス様のもとで、「Hidden with Christ in God」という神様からの語りかけを胸に抱くとき、そんなテンションもそのまま受け入れられるのです。

 死後の娘が神様のもとにいて安全であるのは、頭では最初からわかっていたことでした。しかし、答えそのものが私の慰めとなったのではなく、娘の闘病と死とその後のプロセスを、納得したり疑ったりを繰り返しつつ、もがきながら、這うようにしてでも神様と一緒に通ったこと、そうやって神様に近く引き寄せていただいたこと、それが私に言葉にできない深い慰めを与えてくれたのだと思います。私に必要だったのは、理路整然とした納得のいく答えではなく、納得のいかない苦しみの中でも、主がともにいてくださることだったのです。


 娘が亡くなってからまだ3ヶ月足らずですから(注:5月末当時)、すっかり立ち直りましたとはとても言えません。そもそも、完全に立ち直るのは無理だと思っています。娘を21歳で失った悲しみは、これからの私という人間の一部に刻まれたと思います。娘がいたころの生活にはもう戻れません。でもそれでいいと思っています。今の私の人生には、美穂の死を通して、新しい次元が加えられたように感じています。五感で認識できるものだけが私たちの現実ではないことに気づかされたのです。目で見ることも、手でふれることも、耳で聞くことも、匂いを嗅ぐことも、舌で味わうこともできないけれど、それでも確かに存在しているものがある… 美穂は今、キリストとともに、そこにいるのです。それは、神様のおられる場所であり、私たちの只中にあるとも言われている場所です。それも紛れもない「現実」です。そして、今この地にまだ肉体を持って生かされている私たちも、実はキリストとともに神のうちに隠されているとパウロは言ったのですよね。その意味で、私と美穂はキリストにあって、今も、これからもずっと一緒です。そして、イエス様の再臨のときには、この地上に完成させられる新天新地において、もう病も痛みも苦しみも涙もない世界で、お互いに新しい体をいただいて再会できるのです。

 私にはすべてのことが理解できたわけではありません。それでも、たとえわからなくても、イエス様は今日をしっかりと生きていくために必要な慰めと力と希望を与えてくださっています。何よりもイエス様が私とともにおられます。 それだけで、十分です。主の御名をたたえます。

MihoWink