先週の木曜日から旅に出ています。

 夫が東北大学で会議だったのに便乗し、私もま〜やも仙台へ行きました。(夫とは別行動。)松島にも行き、夫の会議が終わった翌日に彼と合流し、新幹線で函館まで。 

 その後はこんな具合。

 函館→ニセコ→小樽(一時間だけ途中下車)→札幌→支笏湖(今ココ)

 どこも一泊ずつの駆け足旅行ですが、なかなか充実した楽しい旅になっています。

 ただ、仙台と函館以外はお天気が今一つで、特にいちばん見たかった支笏湖ではついに雨に降られてしまいました。それでも、ずっとビジネスホテルに泊まっていたのが支笏湖だけはちょっと奮発して湖畔にあるいい感じのホテルで、しかもなぜか部屋がアップグレードされていて、和室と洋室の両方がある部屋。部屋についているお風呂は温泉が流れ込む檜風呂で、時間で区切られてはいるものの貸切の露天風呂もあって温泉三昧です。北海道最終日にふさわしく、今日は温泉に浸かりながら部屋でのんびりと過ごしています。

露天


 チェックインしてから数時間は、外は濃い霧で、湖に面しているはずなのにほとんど何も見えない状態でしたが、夕食のころになったら多少雲が晴れてきて、夕焼けを見ることができました。

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 でも、このホテルでいちばん嬉しかったのは、入った正面にこの花が飾られていたこと。

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 ユリの花は私がみんのためによく飾る花で、ユリの花の香りをかぐと、みんを思い出します。ちょっと変な話ですが、実は、みんが亡くなった日にも部屋にユリが飾られていて、ユリの香りとみんの吐血の独特のにおいが混ざり合い、私にとってユリの芳香はみんを思い出させる香りになったのです。なので、このホテルに入ったとき、ユリの香りが漂ってきて、なんだかみんも私たちと一緒にいるような気がしました。

 今回の旅行は、思いがけずbittersweetな旅となっています。以前みんと日本であれをした、これをした、みんは日本のあれが好きだった、これが好きだったと、いろんな場面で思い出します。そして、楽しい、嬉しいと思うたびに、だけどここにはみんがいない、みんにこのような思いを味わわせてあげることはもう決してない、そのような思いがこみ上げてきて、切なくなります。もはや私にとって、喜びは悲しみと表裏一体であることを思い知らされています。

 でも、決して過去の痛みの中にはまったまま身動き取れなくなっているのではありません。これは私の新しい現実の一部なのです。現実を受け入れるなら、この悲しみや痛みに支配されてしまうことはないでしょう。そして、私にとってのグリーフワークは、この悲しみや痛みを駆逐することではなく、これからの私の人格、生き方の一部として取り込んでいくことなのかなと思っています。それは決して、何か暗くうとましいものではなく、むしろ、このプロセスから出てくるこれからの自分がとても楽しみでもあります。

 Facebookにだんだん日が暮れていく様子の写真をアップしたら、ある友人が、「風景は時とともに変化していく。そしてどのときの風景も美しい」とコメントしてくれました。本当にそのとおりだと思います。私の心の風景も、時とともに変わっていくことでしょう。そして、どの風景も、それぞれに尊く美しいのだと思います。そこにはキリストの慈しみに満ちたご臨在があるから…

なんと幸いなことでしょう。その力が、あなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。
彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。(詩篇84:5、6)
 
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 支笏湖畔で。