気がつくともう6月。
 しばらく頻繁に更新していたのに、急にぷっつり更新が途切れて、心配してくださっていた方もおられるかもしれない。

 大丈夫です。元気にしています。

  急に更新できなくなったのは、みんの召天以来、どちらかというと内向きになっていたのが、ようやく外向きになり始めたからかもしれない。そうならざるを得なかったとも言えるけれど。具体的には、五月末のメモリアルデーウィークエンドに持たれた恒例の中西部JCFNの修養会、セントラルカンファレンス(CC)での証の準備と、CCにワークショップ講師としてお出でくださった山崎ランサム和彦先生のホスト、そしてこの2年間受講していたSpiritual Directionの講座(Tending the Holy)の卒業リトリートがあった。

 今日は、 この卒業リトリートのことを少し。これは、金曜日の夕方から日曜日のお昼までの沈黙のリトリートで、テーマは「Traveling Light」だった。一瞬、高速で移動する光のこと?と思ったら、身軽に旅路を歩むという意味だった。(汗)イエスの恵みに導かれるリズムに乗って歩む旅路に、多くの荷物はいらないのだろう。

 このリトリートは私にとって、この2年間を振り返り、どんな状況の中にも私とともにいてくださったイエス様に思い巡らし、感謝し、そしてこれからのことを祈るときとなった。この2年間、この講座を受講していたおかげで、どれほど助けられたことか。そこで学んだこと、また出会った仲間たち。それがなければ、特にこの一年間は、いったいどうなっていたことかと思う。リトリートの沈黙期間が終わってから最後に皆とシェアリングしたとき、私は、「娘を亡くすのにちょうど良いとき、などといったものは存在しないでしょうが、それでも、もしあるとしたなら、この講座を通して皆さんと一緒に歩んでいた、まさにこのときだったと思います」と言った。

 二日目の晩は、ちょうど日の沈む時刻に、屋外にあるラビリンスを皆で歩いた。もちろん無言で。リーダーたちがラビリンスの周りにロウソクを並べておいてくれたので、日が沈んで暗くなっても道がわからなくなることはなく、とても幻想的だった。

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 15人が、少しずつ時間差で、一人ずつラビリンスの中に入っていく。真ん中まで到達すると、それぞれ、必要なだけそこにとどまって静かに祈る。そして、外に出ていく用意ができたら、また同じ道をたどって外に戻っていく。先に歩き終わって外に出た人たちは、ラビリンスの周りを囲み、まだ歩いている人たちを黙って見守る。そのときのことについて、最後のシェアリングのとき、ある姉妹がこのように言った。「まだラビリンスを歩いている人たちを、先に歩き終えた人たちが黙って見守る様子は、ちょうど一足先に主の元に帰った聖徒たちが、まだ地上で人生の旅路を歩んでいる私たちを見守っているかのようだと思いました。」

 それを聞いて、みんの闘病中に慰めをいただいていたヘブル書の御言葉を思い出し、私もまたなんとも言えない平安を覚えた。

 こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。(ヘブル12:1)

 この箇所では、ヘブル書の記者は人生を「競争(レース)」にたとえているけれど、それは競い合うという意味の競争ではないのだろうと思う。むしろ、一人マラソンというか、山登りというか、クロスカントリーのような… いや、一人マラソンではないね。みんなで走っているのだから。ただ、勝ち負けは関係ない。
 
 そして、今、みんもまた、雲のように私たちを取り巻く証人の一人に加えられたことを、感慨深く思う。みんのためにも、しっかり歩まなくちゃ。 

 また、このリトリートでは面白いこともあった。皆で沈黙を守っているというのに、隣町の野外コンサート場でコンサートがあったらしく、夜の11時過ぎまで遠くからロック音楽がガンガン響いてきて…(苦笑)私は最初、外の駐車場で誰かが音楽を聞いているのかと思って窓から外を見たのだけれど、誰もおらず。変だなー、変だなーと思いながら、眠りについた。すると翌日、最後のシェアリングのとき、ある姉妹が次のように分かち合ってくれた。「あの音楽には閉口させられましたが、神様はそれを通しても私に語られました。私たちは、この世の喧騒の只中にあって、神の臨在の内に、contemplative presenceとして生きるように召されているのですよね。しかも、聞こえてきた音楽の一曲は、『Don't stop believin'』と歌っていて… 神様って、なんとユーモアのセンスがおありでしょう!」すると別の姉妹が、「その歌は、Journeyの歌ですね!」 

 Journey(旅路)と聞いて、私たちはみんな、思わず「おおー」とため息をついた。2年間の学びを終えて、そこで学んだことを携えてこの世の祝福となるべく世に出て行こうとしている私たちへの、神様からのはなむけだったのかもしれない… 沈黙のリトリートの最中に遠くから聞こえてきた騒がしい音楽を通して語ってくださる神様って… ^^  
 これは私にとっては、霊的なものを求めるからといって、いかにも霊的っぽいと自分が思う理想像を求めるのでなく、むしろ、自分が今置かれている場所、自分に与えられているものの只中に、主は確かにおられるということを覚えておきなさいという、神様からの語りかけでもあった。

 本当に祝された2年間だった。このような機会が与えらえたことに心から感謝。私が受講することを許してくれた夫に感謝。これから、ここで学んだことを生かして歩んでいくことができますように。導かれるなら、スピリチュアル・ディレクター(霊的同伴者)として、これから奉仕していくことができますように。

Prayer of St. Ignatius of Loyola
Take, Lord, and receive all my liberty,
my memory, my understanding,
and my entire will,
All I have and call my own.
You have given all to me.
To you, Lord, I return it.
Everything is yours; do with it what you will.
Give me only your love and your grace,
that is enough for me.

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