子供たちはどうしていますかとよく聞かれる。上の二人の娘たちは、それぞれの場所で、良い友人に囲まれつつ、私とも折に触れてスカイプなどで話しつつ、しっかり頑張ってくれているようだ。

 ケンは、みんが召されたあと、なぜかテニス部に入った。みんが亡くなったこととはまったく関係ないのだけれど、そのタイミングで新しいスポーツを始めたのは良かったようだ。毎日身体を動かし、太陽の光を浴びつつ汗をかいている。シカゴは先週からようやく春らしくなってきたのだけれど、ケンはもう日焼けした。ちなみに、テニスを始めてまだ2ヶ月にも満たないのに、もう試合に出さされているそうで、絶賛連敗中の模様。(汗)

 ケンは、サックスのほうも頑張っている。今は高校の1、2年生が中心のバンドにいるけれど、先日来年のバンド編成のためのオーディションがあり、ケンは上級生中心のバンドに挑戦した。現在のシニアはアルトサックスの奏者が少なく、しかも2年生にはアルトサックスが大勢いるので、1年生のケンが入るのには競争率が高い。ケンはこのオーディションのことをずっと気にかけていて、みんが亡くなる前日も、学校から帰ってきてみんにそのことを話していた。みんは、すでにろれつがあまり回らない状態になっていたけれど、それでも意識はしっかりしていて、「がんばって。ケンならできる。I am believing in you」とケンを励ました。それがみんからケンへの最期の言葉となり、ケンはみんのこの言葉を胸に、オーディションに臨んだ。そして今週の月曜日、その結果が出た。ケンは無事上級生中心のバンドに合格し、しかも、上級生を押しのけてのサードチェアを獲得した。普段はあまり感情を外に出さないケンも、さすがにこのときは嬉しかったようで、すぐに私にもテキストメッセージが入ったし、帰宅してからも嬉しそうにしていた。「お姉ちゃんが生きてたら、なんて言ったと思う?」と聞くと、「I knew it!と言ったと思う」と。うん、私もそう思うよ!^^

 そんなわけで、ケンは学校生活が充実していて、特に悲しそうなそぶりも見せないのだけれど、私は遠慮なく(?)ケンの前でみんの話をするし、悲しくなれば泣く。ケンにも、「おねえちゃんのこと考えることある? おねえちゃんがいなくなって寂しい?」とズケズケと(?)聞いたりもする。するとケンはわりと素直に、「うん」と言う。それ以上は語らないけれど。

 私はケンに、みんのことを話すのはタブーだと思ってほしくない。肉体が死んだからと言って、私たちの心からもみんを締め出す必要はまったくないのだから。だから私はごく普通にみんのことを話題に出す。感情をあまり表に出さないのはケンの性格だと思うけれど、悲しければ泣いてもいい、感情を隠したり抑える必要はないのだと、とにかくわかっていてほしい。

 それと同時に、家族が亡くなったからといって、笑ってはいけないとか、楽しい思いをしてはいけないということもないと思っている。我が家は、娘を失って二ヶ月足らずの家にしてはあり得ないほど、笑い声が響いているかもしれない。 夏休みの楽しい計画も立てている。(私はハワイと日本に行きます! 詳細はまた後日。)ケンも、楽しいことに参加する機会があるなら、どんどん参加してほしい。彼はこの夏は、6週間のテクノロジーキャンプに行く。ほぼ毎年行っているキャンプなので、友達もたくさんいるらしく、楽しみにしている。大変結構なことだと思う。ちなみに、ま〜やも夏は大学のサマースクールを取り、それから私と一緒にハワイと日本に行く。エミは、仕事でサマースクールを教える。その後、1週間ほどシアトルに行く。夫も、仕事でサマースクールを教え、それから日本に来て私とま〜やに合流する。

 夏の計画を考えていると、楽しみなのだけれど、みんは一緒ではないと思うと、やっぱり切なくなる。胸が苦しくなる。私は、相変わらずみんのことを想って泣かない日はない。毎日泣いている。時にはまだ、号泣することもある。毎日泣いているけれど、一日中泣いているわけではない。(この違い、大事。)泣いている時間もあるけれど、仕事をしている時間もあるし、笑っている時間もあるし、ぼんやりしている時間もある。まぁ一日の大半は、みんの写真を眺めたり、みんの写真やお葬式の花で作ったドライフラワーを使ったメモリアルのためのクラフトをしたりしているかな。不器用なので、本当はクラフトは苦手なのだけれど、手を動かしているとやはり気が休まるようだ。目下のプロジェクトはドライのバラを使ったトピアリー。

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(反対側は、まだハゲです。)

 ところが途中でバラが足りなくなってしまったので、黄色と白のバラを1ダースずつ買ってきて、現在ドライにしている最中。(笑)
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 今日はまた、マイケルが訪ねて来てくれた。今日はエリカも一緒に。ウィルソンが大喜びした。エリカはウィルソンに会うのは始めてだったけど、普段は人見知りをするウィルソンが、エリカには最初からすっかりなついて甘えまくっていた。こうやって、みんの友達が今でも訪ねてきてくれるのは、とっても嬉しい。次は一緒に御飯を食べようねと約束した。

 もはや、みんが亡くなる前の「もとの生活」に戻ることはないと思っている。それは不可能。 みんと一緒だった私の生活は、もう永遠に失われた。でも、これからはみんを私の思いの中に留めつつ、神様と一緒に、愛する人たちと一緒に、新しい日常生活を作っていくのだと思う。でも、それも無理はしない。慌てない。自然にそうなっていくのを待つ。正直言って、今の私はまだ、みんが本当にこの地上からいなくなってしまったという実感がないから。

 昨日、私のスピリチュアル・ディレクターと話しているときに、頭では、みんは今イエス様とともにいて安全に守られているのだとわかっているけれど、心では、みんは今頃大丈夫だろうか、死んでしまったことを悲しんでいないだろうか、などとつい考えてしまうことがあるとシェアした。みんは今本当にイエス様と一緒にいるのか(本当に救われているのか、という疑いではなく)、幸せにしているのか、神様に聞きたい、と。するとディレクターは、「じゃあ、早速、今、神様に聞いてみましょう」と言って、祈りを導いてくれた。

 そして二人で祈り、しばらく静まっていると、私の心の中に、1年ほど前に私が撮ってあげたみんとウィルソンの写真が思い出された。

 祈りの中でその情景を見ていると、ウィルソンと遊ぶみんのそばに、イエス様もおられるのが見えた。これは、今ごろみんは天国でウィルソンとイエス様と一緒に遊んでいる、という意味ではなく(だってウィルソンはまだ地上にいるし)、イエス様と共にいるみんの幸せ(well-being)を象徴するtangibleなものとして、神様が私の心に思い起こさせてくださったものなのだと思う。嬉しかった。心が平安で満たされた。頭で分かっていたことが、心においても確かなものとなった。感謝。感謝。感謝。

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(これが祈りの中で思い起こされた写真。祈りの中ではここにイエス様もおられた。)