今年も3月5日がやってきた。
昨日4日は、5年前と同じようにひんやりとしたいいお天気だった。


昨日の朝、エミが「(5年前の)あの週末のことはずっと私の思いの中につきまとっている。でもどんなに辛くても、忘れたくない大切な思い出」と言っていた。私も同じ思い。


しばらく前、Tish Harrison Warrenという北米聖公会の司祭の新刊、Prayer in the Nightという本を読んでいたら、彼女が切迫流産で赤ちゃんを失くした時の話が分かち合われていた。大量の出血をして病院に運ばれ、赤ちゃんが取り出される間、同じく司祭である夫に「コンプリン(就寝前の祈り)を祈りたい」と頼み、祈祷書を取り出し、処置の間中二人でその祈りを祈り続けたというエピソード。

聖公会やカトリックでは「Liturgy of Hours(聖務時祷)」と呼ばれる、1日のうちの決まった時間に祈る習慣がある。

Laudsと呼ばれる早朝の祈り。
Vespersと呼ばれる夕刻の祈り。
そしてComplineと呼ばれる就寝前の祈り、などなど。

これらの祈りは祈祷集に出ているもので、その大部分は詩篇をはじめとしたみことばから成る。

著者のウォレンは、祈りの生活が乾ききり、
なんと祈っていいのかわからなくなっていたころ、祈祷集に沿って就寝前の祈り(コンプリン)を毎晩祈ることを始めたのだそうだ。来る日も来る日も、毎晩同じ祈りを祈る。そしてそれは、彼女の支えとなっていった… Prayer in the Nightは、就寝前の祈りの言葉を掘り下げて洞察しているもの。とても心惹かれたため、私も1ヶ月ほど前から、日本聖公会の祈祷書にある就寝前の祈りを、毎晩祈ることを始めてみた。

5年前の3月4日の夜は、とても大変なときだった。夫と交代でみんに付き添うため、私は先に寝室に戻ったのだけれど、階下から聞こえてくるみんの荒い息遣いがどうしても気になって、なかなか眠れない。そうこうしているうちに、みんの叫び声が聞こえて、私はベッドから跳ね起きた……

昨夜も寝室に入るとそのときのことがありありと思い出され、心が騒ぐものがあった。それでも、だからこその「就寝前の祈り」、そう思って祈祷書を開いた。 

その祈りの一節に、こういう部分がある。

確かなみ摂理により、わたしたちの生きるこの世界とその生活を支えてくださる神よ、どうか夜も働く人を守り、苦しみ悩む人を慰め、病気の人を強め、死に臨む人に祝福を与えてください。そしてわたしたちの生活が、互いの力によって担われていることを、深く心に刻むことができますように、主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン。(日本聖公会祈祷書より) 
Keep watch, dear Lord, with those who work, or watch, or
weep this night, and give your angels charge over those who
sleep. Tend the sick, Lord Christ; give rest to the weary, bless
the dying, soothe the suffering, pity the afflicted, shield the
joyous; and all for your love's sake. Amen. (Book of Common Prayer)

この数週間、毎晩祈っていたものだけれど、昨夜は特に心に響いた。5年前のあの晩も、世界のどこかでこの祈りを祈っていた人たちがいたはずだ、と。具体的に私たち家族のために祈ってくださっていた方がただけでなく、夜な夜な忠実にこの祈りを祈る人たちもいたはずで、神様はそれらの祈りもかき集めて、私たちのそばについていてくださったに違いない……

特にコロナ禍で、夜通し働いている医療関係者の方々、家族を支えるために夜も働き続けている人たち、人と人とのふれあいが激減して大きなストレスを感じている人たち、特に子どもたち、コロナだけでなくさまざまな病気と闘っている人たち、そしてこの晩、まさに死に臨んでいる方たち…  5年前のみんや私たちが、知らないところで祈られていたこの祈りに支えられたように、具体的に思い浮かぶ方たちのためはもちろん、どこかにいるだれかのためにも、私もこの祈りを祈り続けよう、そう思わされた。

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みんをしのぶために、今年も百合の花を飾っている。
私たち家族を覚えてくださる方々が、今年も花を送ってくださった。心から感謝します。

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MihoのNYのお友達たちから。↑

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Mihoの親友のエムラから↑

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私の霊的同伴者仲間のMさんから↑

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