今週の日曜日、バイオロゴスのポッドキャストで、バイオロゴスの創設者であり、米国国立衛生研究所(NIH)所長のフランシス・コリンズと、N.T. ライトの対談がライブで放送された。



 神学の巨匠と生物・医学の巨匠が、大西洋をはさんで、パンデミックの中でクリスチャンはどう応答すべきかという重要なトピックについて語り合うというすごい企画。 二人の間にある互いに対する敬意と信頼、そして友情が全体からにじみ出ていて、二人の姿を見ているだけでもとても励まされた。

特にコリンズ博士は、アメリカの医療研究のトップに立つ人で、今はワクチン開発のために全力を尽くしている真っ最中。どれほどの疲労とストレスがあるだろうかと思うのに、こうやってクリスチャンたちを励ますために対談に登場し、穏やかな笑顔を見せてくれる。(しかも対談の最後には、NTライトと一緒に替え歌を歌っていた!)キリストに信頼して生きている人というのは、こうなんだな、と思わされた。

この対談では、ライトの新刊『God and the Pandemic』についても語られたのだけれど、その中で特に印象に残った箇所があった。それは、ローマ8章28節「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画に従って召された人たちのためには、神がすべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」 の解釈について。(対談では、54分30秒あたりから、コリンズがライトにこの箇所のことについて尋ねている。)

この箇所は、ひらたくいえば、神を愛するクリスチャンたちのためには、神様がすべてのことを相互に働かせて益となるようにしてくださるよ、という意味として教えられてきたと思う。

しかし今回、ライトは、この箇所は、「神を愛する人たちのために(for)」ではなく、「神を愛する人たちとともに(with)」、という意味なのだと語っていた。ギリシャ語のsynergeōシネルゲオー? なんて読むの?)は、work together, work withという意味で、クリスチャンは自分の内に、神のみこころを知ってうめきつつとりなされる御霊を持っており、神はそのような人たちを、被造世界全体が新たにされるという神の目的を達成させる方法の一環として用いられる、ということらしい。 これはライトによる新解釈というよりも、すでにそのように論じている学者さんたちが何人かいて、ライトもそれに同意するようになったのだそうだ。

視点が広い。自分にとって嫌なこと、不都合なことが起こっても、神様がすべてをうまい具合に取り計らって、相働かせて、私にとって良いようにしてくださるから大丈夫!という話ではなく、神様は私たちと一緒に働いて、被造世界全体の贖いのために益となるようにしてくださる、ということ。私たちの積極的な関与がそこにはある。私たちが「神のご計画に従って召された人たち」であるとは、そういうことなのか。

対談の中で言われていたのは、こういう悲惨なことが起こったとき、「なぜですか?」ではなく、「では私は何をしたらいいですか? 私には何ができますか?」と問うていくこと。それぞれの職業に応じて、できることがあるはず。医療研究者でも、政治家でも、教育者でも、どういう立場の人でも、この状況の中で隣人を愛するために私にできることは何なのか?と問うこと。たとえば、外出するときは他者のためにマスクを着用することも、自分にできることの一つ。不要不急の外出を控えることもそう。また、意思決定をするリーダーたちのために祈ることも。自分が置かれている立場で、自分にできることをするとき、それは私が孤軍奮闘しているのでなく、神様の尊い目的のために神様が一緒に働いてくださる。

Synergeō

この言葉、覚えておこう。 

ちなみに、NTライトの 
『God and the Pandemic』は、あめんどうから、鎌野直人先生訳で来月には出版される予定です。