(2)他者を愛することとマスク

コロナパンデミックのさなか、マスクは有効なのかどうかが議論されている。
日本や香港など、アジア諸国ではマスク着用は文化の一部でもあり、花粉症の季節になると、大勢の人がマスクをする。今回も、初期のころから当然のように皆がマスクをしていた。

一方アメリカでは、マスクではコロナウィルスのように微小なものの侵入を防ぐことはできず、予防にはならないばかりか、不適切な着用はかえって感染の可能性を高めるといって、マスクは勧められていなかった。 着用するのは、医療関係者と咳などの症状が出ている人のみに限られていた。

ところが最近になり、COVID-19は咳をしていなくても、ただ普通に話すだけ、呼吸しているだけでも飛沫感染の危険があることがわかり、がぜんマスクが見直されるようになった。無症状や咳などの症状がない人でもウィルスを飛ばしている可能性があるそうで、マスク着用者本人の予防にならないのは以前から言われていた通りだけれど、他の人を感染から守るには役立つのではないか、と。

そこで、今やアメリカでは、自分のためではなく人のためにマスクを着用するよう言われ始めた。医療グレードのマスクは医療関係者にゆずり、一般人は手作りの布マスクでも、バンダナやスカーフで鼻から下を覆うだけでもいいらしい。

興味深いのは、マスクは、外出する人たちが全員着用してこそ効果があること。自分が感染しないためであれば、自分が着用すれば済むことだけれど、他の人を守るという意味では、皆が着用しないと意味がない。今私たちは、他者のために自分がマスクをするという行動が求められている。すでにコロナに罹って回復し、免疫を得た人でない限りは、いつ自分が感染源になるかわからないのだから。

これは、外出自粛にも当てはまる。外出しないのは、自分を感染から守るためだけでなく、自分が無自覚のうちにウィルスを拡散してしまうことを防ぐため。むやみに外出する人たちがいる限りは、どんなに「社会的距離」をあけていても、効果はなかなか見えてこない。

このダイナミクスは、個人レベルでもそうだし、地方自治体や国レベルでも同じこと。仮に私の住むイリノイ州では感染が収束したとしても、近隣の州でまだ収まっていなければ、再び外から入ってくる可能性がある。イリノイだけが収束してもだめなのだ。 同じように、アメリカが収束したとしても、他の国でまだ収まっていなければ、人の行き来をとおしてもう一度ウィルスが入ってくるかもしれない。国全体、世界全体が、自分のためだけでなく、自国のためだけでなく、世界レベルで皆のためを思って行動しないと、パンデミックは終息しない。

神様が私たちに互いを愛し合うことを学ばせるために新型コロナを人間にお与えになったとはまったく思わない。しかし、イエスの教えを実践することこそ、パンデミックに対するいちばん強力な武器なのかもしれないと思うと、とても興味深い。

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マスク作ってみた。