今年の1月からエピスコパル教会(米国聖公会)に行き始め、この一年間は教会暦の豊かさに改めて目が開かれている。私が教会暦を意識するようになったのは7年ほど前だけれど、実際に教会暦を重んじる教会に行き始めて、それを覚えることが、一年中を通してキリストとともに歩むことにいかに助けになるのか、じわじわと味わっている。

 特に教会暦を重んじるわけではない教会でも、クリスマス前の約4週間は、アドベント(待降節)を覚えると思う。しかし、アドベントの期間から、当然のようにクリスマス(降誕節)の飾り付けをし、クリスマス前にクリスマスの祝会やイベントを行う教会がほとんどではないだろうか。そして、25日を過ぎれば、クリスマス関連の行事は終わる。私も今までそれを当然のことと思っていた。

 しかし、今私が行っている教会では、アドベント中の教会の飾り付けは、アドベントキャンドルと、花器に飾った常緑樹の枝だけだった。そして、アドベントの最初の週には、会堂の後ろのほうにお腹の大きなマリアを連れて旅をするヨセフの人形が置かれた。会堂の前方にある聖餐台の前には、誰もいない馬屋があり、マリアとヨセフは、アドベントが進むごとにだんだんその馬屋に近づいていった。実際にはナザレからベツレヘムまでの移動時間は、当時でも1週間くらいだったそうなので、4週間かけて旅をするのはちょっと長すぎだけれど、それでも、週ごとに前に移動していくマリアとヨセフを見ることで、イエス様の誕生への切望と期待感が増すのを感じた。


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 クリスマスの日、25日の礼拝では、アドベントキャンドルは片付けられ、代わりにポインセチアやロウソクが会堂全体を飾っていた。アドベント中は全然ポインセチアを飾らないので、変だなぁと思っていたのだけれど、こういうことだったのか、と納得。マリアとヨセフも、無事に馬屋に到着した。

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 そして降誕日最初の日曜日であり、クリスマス5日めにあたる今日。教会に入ると人々は互いに「メリークリスマス!」とあいさつ。教会の外の聖誕シーンの飾りには、馬屋に向かって旅をする三人の賢者の置物が加えられた。これは、アドベントの最中はもちろん、25日にもまだなかった。来週の日曜日には、この三人は馬屋の前に立っているのだろうか?


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 そして、今日の礼拝の式次第がまた素晴らしかった。

 ほとんど全体が、みことばの朗読とクリスマスの賛美歌を交互に。そういえば、アドベントの最中に歌っていたのはアドベントの賛美歌だった。以前は、アドベントの最中にも普通にクリスマスキャロルも歌っていたと思う。待降節には待降節の、降誕節には降誕節の賛美歌を歌う。当然といえば当然だけど、あまり深く考えたことがなかった。

 そして、礼拝で朗読されたみことばは…… 創世記3章1節から23節のアダムとエバが罪を犯してエデンの園を追放され、神様との関係が断絶されるところから始まり、イザヤ書でイエス様の誕生が預言されている箇所、そしてルカ福音書から、御使いがマリアに現れ、マリアが救い主を身ごもったことを告げる箇所、エリザベツがヨハネを生んだ箇所、イエス様がベツレヘムで生まれた箇所、羊飼いのもとに御使いが現れて救い主の誕生を告げた箇所、そして、ルカ一章の冒頭…

 礼拝の最後は、Go tell it on the mountainを歌って、司祭による祝福があって解散。礼拝全体が、クリスマスカンタータのようで、イエス様の物語を見事に語っていた。こんな礼拝は初めて。

 12月25日を過ぎたらクリスマスは終わり、という考えは、クリスチャンでない人たちはそう思うのは仕方がないけれど、クリスチャンは降誕節の12日間、イエス様の誕生を覚えてたっぷり祝いたいものだ。街中では「After Christmas Sale(クリスマス後の特売)」の広告だらけだけれど、まだ「クリスマス後」ではなく、今がクリスマスの真っ最中なのだから。


追記:山﨑ランサム和彦先生のこちらのブログ記事もぜひご覧ください。