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 昨年初めて知った「テネブレ礼拝」、今年はうちの近所のエピスコパル教会(米国聖公会)で実際に参加する機会に与った。

 礼拝は基本的に詩篇、哀歌、ヘブル書などからの朗読。交互に読んだり、斉唱したり。読み進めるごとに、ろうそくの火を一つずつ消していく。あたりがだんだん暗くなっていく。主の十字架の重みがずっしりと心に沈む。

 なぜ主が苦しまなければならなかったのか。
 なぜ主の上に御怒りがくだり、主が神から見放されなければならなかったのか。
 なぜ主が死ななければならなかったのか。
 
 主の死の重みがずっしりと心に沈む。


 最後の一本のろうそくは、消される代わりに壇の背後に隠される。そして暗闇の中で最後の祈りを祈る。

 Almighty God, 
we pray you graciously to behold this your family, 
for whom our Lord Jesus Christ was willing to be betrayed, 
and given into the hands of sinners, 
and to suffer death upon the cross; 
who now lives and reigns with you and the Holy Spirit, one God, 
for ever and ever. Amen.

 そしてはじけるような騒々しい音。去年も書いたように、それは主の死によるこの地の混乱、また主が埋葬され、お墓の戸が閉じられたことの象徴。

 それから、暗闇の中、皆、沈黙のうちに礼拝堂を後にする。 


 わが神 わが神
 どうして私をお見捨てになったのですか。
 私を救わず 遠く離れておられるのですか。
 私のうめきのことばにもかかわらず。  (詩篇22:1)

 キリストは、肉体をもって生きている間、自分を死から救い出すことができる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、その敬虔のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であられるのに、お受けになった様々な苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、ご自分に従うすべての人にとって永遠の救いの源となり、 メルキゼデクの例に倣い、神によって大祭司と呼ばれました。(ヘブル5: 7−10)

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