夕べ、なかなか寝付けないでいたら、突然、箴言3:27−28が頭に浮かんだ。

あなたの手に善を行なう力があるとき、求める者に、それを拒むな。
あなたに財産があるとき、あなたの隣人に向かい、「去って、また来なさい。あす、あげよう」と言うな。 

  神様が私たちにそのようにおっしゃるならば、神様ご自身だって、その御手に善を行なう力があるとき、求めるものにそれを拒まないはずではないかしら?という思いが来た。それで、大変僭越ながら、神様にそのようにリマインドさせていただくことにした。


 主よ、あなたは全知全能の愛なる神です。すべての造り主であり、癒し主であり、贖い主であられる神です。すべての善いものはあなたから出ます。すべてのリソースはあなたから出ます。あなたの大いなる御名を誉め称えます。

 あなたご自身が、箴言3:27−28の言葉をソロモンに言わせたのであれば、あなたもまた、求める者に拒むことなく、善を行なってくださるのだと思ってもよろしいでしょうか? あなたご自身がこのように言われたことを、どうぞ思い出してください。お忘れにならないでください。主よ、あなたは、アブラハムがソドムとゴモラのことでしつこく執りなしたとき、お心を変えてくださいました。あなたがイスラエルの民はうなじがこわいからもう一緒に行かないとおっしゃられたとき、モーセが彼らのことであなたに懇願しましたら、あなたはお心を変えてくださいました。イザヤには、あなたご自身から、「さあ、来たれ。論じ合おう」「わたしに思い出させよ。共に論じ合おう。… あなたのほうから述べ立てよ」とおっしゃいました。ですから僭越ながら、私が申し上げることをどうぞお許しください。 あなたご自身が私たちに、「なたの手に善を行なう力があるときに、求める者にそれを拒むな」とおっしゃったのですから、あなたもそのようになさってくださることを期待してもよろしいでしょうか…? 主よ、どうぞお忘れにならないでください。

 ああ、主よ、私はあなたのはしために過ぎない者ですのに、このような物言いをすることを、どうぞお許しください。主よ、私は決して、あなたが意地悪でみんを癒さずにおられるのだとは思っていません。あなたが意地悪でみんが苦しみを通ることを放置しておられるのだとは思っていません。むしろ、あなたは今、みんの痛みを共に担いつつ、みんの手を握り、抱きしめていてくださっていることを知っています。あなたは私のことも、今、そのようにしてくださっているからです。あなたがそのように私たちを支え、守っていてくださっていればこそ、今私たちは、こうしていることができます。みんも、苦しみの中でも、壊れることなく耐えることができています。私も夫も、日々支えられています。あなたが私たちを苦しみに合わせているのではなく、むしろ敵が私たちを引きずり込もうとしている悪が、フルフォースで私たちに臨むことがないよう、あなたが楯になってくださっているのです。主よ、感謝します。あなたが善なる神であり、憐れみに満ちた優しい方であることを私は知っています。すべてはあなたの善い御手の中にあることを信頼しています。もしあなたが、何らかの理由で、みんの身体を今は癒さないことを選ぶのであれば、そこには私たちの思いをはるかに越えたあなたの善なる御思いがあることを受け入れます。あなたの壮大なるストーリーの中で、みんのいのちが特別な役割を担わせていただいているのだと受け入れます。そしてそのことを光栄に思い、感謝いたします。ああ主よ、私はただ、わがままを申し上げているのです。そんな私をどうぞお許しください。こんなにも守られているのに、なおお願い事をするずうずうしい私を、どうぞお許しください。

 主よ、あなたがみんの内蔵を造り、私の胎の中でみんを組み立てられたとき、あなたがみんをひそかに造られ、地の深いところで仕組まれたとき、あなたの目が胎児のみんを見られ、あなたの書物にすべてが書き記されたとき、あなたはみんが20歳でガンになるようにご計画されたのでしょうか? そんなことはないと信じています。このような忌むべき病があなたから出たものではないことを、私は知っています。ああ主よ、あなたがみんのために持っておられるご計画を、どうぞ全うなさってください。あなたはみんに数多くのギフトをお与えになりました。それは、みんがあなたのご栄光を輝かせるためではなかったのでしょうか。ああ主よ、もちろん彼女が、今、病床においてでさえ、そのいのちのすべてをもってあなたのご栄光を現していることは知っています。あなたは、病の苦しみさえも、その憐れみに満ちたまなざしで、あなたの愛を流れ出すための機会へと変えてくださっています。実際、みんの病を通して、私は驚くべきほどの多くの愛と憐れみが私たち家族に注がれるのを体験させていただいています。みんの病を通して、あなたはさらなる愛と憐れみと優しさを、この地上に生み出させたに違いありません。そのようなことは、ただあなただけができることです。あなたがこれらのことを通してすでになさっておられる多くの尊い、善い御業を感謝します。ただあなたの御名だけがたたえられますように。あなたの御名だけが崇められますように。でも主よ、それでも、みんが21歳でガンで取られることがあなたのもともとのご計画であったとは、私には思えません。私もまた、アブラハムのように、モーセのように、あなたに懇願することを許してください。ダビデも、バテ・シェバが生んだ子どもが病に陥ったとき、断固として癒しを求めて祈り続けたように、私もまた憐れみを求めて祈り続けます。

 主よ、あなたは癒し主であられますが、healig machineではありません。私たちが何か特定のことを言ったり、告白したり、行なったり、考えたりするなら癒すし、そうでないなら癒さないというような、自動販売機のような方ではありません。そのように考える人たちもいるようですが、私はあなたがそのようなお方ではないことを知っています。主よ、人とは何者なのでしょう。あなたは私たちに目を留めてくださるのです。私が一体何者だからといって、全地宇宙の造り主であるあなたに、こんなにも親しく自分の正直な思いをぶつけることが許されているのでしょうか。主よ、なんと驚くべきことでしょうか。あなたを愛しています。

 ああ、主よ、ダビデの言ったとおりです。神よ。あなたの御思いを知るのはなんとむずかしいことでしょう。その総計は、なんと多いことでしょう。それを数えようとしても、それは砂よりも数多いのです。私もみんも、ただあなたとともにいます。あなたは私たちから決して離れることはありません。病も死も、私たちをあなたの愛から引き離すものは何もありません。何がどうなっても、It is well with my soul、それは決して変わりません。でも、だからといって、今私の心の中にある願い、またみんの中にある願いを飲み込む必要がないことも知っています。あなたが善いお方であればこそ、大胆にあなたの恵みの御座の前に出
て、このような祈りをすることが許されていますことを感謝します。


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2013年。おばあちゃんをホスピスに訪ねたとき。おばあちゃんが寝ている間、Simply Christianを読みながら待っていた。