昨日は一ヶ月半ぶりに、スピリチュアル・ディレクションを受けてきた。
 今の私にとっては、みんの病気は生活の主要な一部。一部どころか、ほぼ全体。そこで、みんの病に寄り添う中で、どこに神様を見いだしているか、などについて話した。

 会話の中で、ディレクターが、Broken Body, Healing Spirit: Lectio Divina and Living with Illnessという本に出ている、レクティオ・ディビナの方法を、病にある人が自分の身体に耳を傾けることに応用させた祈り方について教えてくれた。

 まず心を静め、それから…

 1. 自分の身体のどの痛みが今いちばん気になるのかに注意を払う。(Reading your body's "text")

 2. その痛みが自分に何を語っているのか、自分をどんな気持ちにさせているのか、自分にどんな影響を与えているのかを意識する。(Meditating on what you read)

 3. そのことについて神様とお話する。(Praying)

 4. ただ神様の愛を受け取る。 (Contemplating--"Let God love you.")

  レクティオ・ディビナは、Sacred Text、つまり聖書の御言葉に聞きながら祈る祈りだけれど、この祈りは、身体が語る言語に耳を傾ける祈り。身体の痛みを通して、魂の癒しに向かう祈り、とも言えるかもしれない。

 最近、身体的な痛みについて考えることが多い。身体的な痛みとは、人の心をくじくものだと思う。FBで知り合った末期ガンで闘病中のある牧師さんも、ひどい痛みは希望を持つことすら難しくさせるとおっしゃっていたが、慢性的な痛みや、延々と続く痛みの中にあって、なお希望や喜びを持ち続けることがどれほど難しいか… また叫ばずにはおれないほどの激しい痛みに襲われることが、どれほど恐ろしく、人から生気を奪うものか… 私がこれまでに体験した中でいちばんひどい痛みは、麻酔なしで出産したのときの陣痛の痛みだけれど、私もあのときは、あまりの痛みに死んだ方がましだと本気で思った。今ここにテロリストたちが乱入し、私に銃口を突きつけたとしても、私はきっとまったく恐れを感じずに、「ありがとう、早く撃って」と言うだろうと、あのとき、朦朧とする頭で思っていた。いや、私を殺すために銃を持った人たちが来てくれる情景を思い描いていた。ひどい痛みは、それくらい、生きることに対する希望も執着も失わせてしまうのだ。陣痛のように、一時的で、しかも良い結末をもたらすものとわかっている痛みでさえも、その最中にいるとそんなふうに感じるなら、いつ終わるのかわからない痛み、その先には肉体の死しか待っていないかのような痛みを耐えることが、どれほど難しいことか…

 イエスの苦しみとは、私は今までもっぱら精神的な苦しみがメインであるように教えられてきた。つまり、裏切られたり、なじられたり、誤解されたりする苦しみがその中核にある、と。それは彼の肉体的な痛み以上に辛いものだったであろうと言われるのを聞いてきた。しかし、精神的な痛みももちろんあっただろうが、イエスが受けた肉体的苦痛は、想像を絶するほど恐ろしいものだったはずだ。映画『Passion』で描かれていたような、鋲がたくさんついたムチで、皮膚が裂け肉がちぎれるほどに打たれる… 何度も、何度も。そして長く太い釘で手首や足首の骨を砕きつつ十字架に打ち付けられる…
 
 現代人にとっては、暴力的なまでの激しい肉体的な痛みはあまり馴染みがないために、イエスの苦しみも、もっぱら精神面で解釈しがちなのではないかという気がする(その方が、私たちにはイメージしやすいのだろう)。しかし、イエスが受けた肉体的苦しみの激しさを忘れてはいけないのではないかと思い始めている。イエスが私たちの病を負い、痛みをにない、私たちの咎のために砕かれたとき、そこには精神的な苦痛だけではなく、激しい肉体的苦痛も伴ったのだ。それはイエスをして、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか!」と叫ばせるほどの苦痛だった…

 肉体的痛みは、イエスの受けた苦しみに私たちが少しでも与ることのできる道なのかもしれない。そして、それだけの痛みを受けられたからこそ、イエスは私たちの肉体の痛みにも寄り添うことのできるお方なのだろう。

 みんの容態は、決して良くなっていない。むしろ、日を追うごとに症状が悪化し、その種類も増えている。昨日は、せっかく食道にステントを入れたのに、今度はそのステントを入れた上の箇所が詰まるようになってきたと言っていた。柔らかいものも、飲み込むのがまた難しくなりつつある。そして、一日に数えきれないほど嘔吐する。夕べは特に夜のスープのあと、大量に嘔吐した。洗面器が一杯になるほどに… 脱水しないよう、すでに煎ってあった玄米で玄米スープを作ってもう一度飲ませた。このスープは、みんの固くなった胃にも優しく届くようだ。そうであってほしい。

 そして、玄米スープを飲ませながら、上記の祈りのことをみんにシェアした。みんは涙ぐんで、うなずきながら聞いていた。


 今日のお祈りのお願い

-嘔吐がおさまり、食べたものが十分に体内に摂取されますように。食道狭窄が取り除かれ、経口で食事が普通にできるようになりますように。
-感染症や合併症が起こりませんように。 
-化学療法が効果を奏し、これ以上ガンが広がらず、今あるガンも小さくなりますように。
-苦しみの中で、神様がみんと特別に出会ってくださいますように。
-私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神が、どのような苦しみのときにも私たちを慰めてくださいますように。(2コリント1:3−4)