実は、今年はこのブログ(以前は「ウェブ日記」と呼ばれていましたが)を開設してから、満二十年になる。

 ホームページとして始めたのが1998年2月、ウェブ日記を書き始めたのが同年5月だった。
 ウェブ日記のスピンオフで、リバイバル新聞さん(現地引網出版)に連載させていただいたり(こちら)、月間いのちのことば誌に連載させていただいたり(こちら)。

 毎日楽しく書きつつも、「こんなこと、10年後にもやっているのかなぁ?」とふと思ったりしたものだったけれど、10年どころか、気づいたら20年続けていた。 

 ところが、最近、なぜか書けなくなった。本当は、ブログ二十周年を記念して、少しふりかえりの記事など書きたいと思っていたのに、まったく書こうという気になれない。Facebookなどにちょこちょこ書いていると、ブログのようにまとまったものが書きにくくなるというのはありがちなことだけれど、どうもそれとも違う。

 ブログだけでなく、Facebookにも以前のように書かなくなったし、ツイッターは実質やめたも同然だし、SNSとは別に、いろいろなところから執筆依頼もいただくこともあるのだけれど、それらの記事も、ほとんど書けなくなってしまった。(あるいは、書くのにものすごく時間がかかる。)1ヶ月半前に依頼されたものを、いまだに書いていないとか、以前の私には考えられない状況。 ふつうのメールですら、以前のようには筆が進まなくなった。 
 
 もしかすると、グリーフと関係があるのかもしれない。みんの闘病中、そして召天後しばらくは、そのときどきの思いや出来事を記していたけれど、ある時点から、なぜだかあまり書きたくなくなってしまったのだ。

 でも、気にしていない。 そもそも書くことが仕事ではないので、書こうという気にならないなら、無理して書く必要はないと思っている。今は、書くよりも、会って人と話をしたり、話を聞いたりすることで、喜びをいただいている。

 もしかすると、スピリチュアル・ディレクション(霊的同伴)でいろいろな方のお話を伺う機会が増えてきたことが、影響しているのかもしれない。霊的同伴のセッションでは、それぞれの方たちの生活の中で神様がいかに働いておられるかを、特等席で見せていただいているかのような、本当に素晴らしい恵みをいただいている。ただ、そこで伺うお話は、私の側からは門外不出。すべて心に納めるのがルール。

 霊的同伴でのことを書かないのは当然だけれど、自分自身のことについても書きたいという気が落ちているのは、今はとにかく、私の人生の中でそういうシーズンなのかもしれない。このシーズンを楽しみたい。大切にしたい。

 7月から、Ruth Haley Barton主催のTransforming Communityの第15期に入ることになったので、目下のところ、それを楽しみにしている。


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アスチルベ