私の中では、神さまの〝みこころ”と〝お心”は、いつも何となく区別されていた。「みこころ」というと、神さまの意志的なご計画のことを指し、「お心」というと神さまの感情的な側面を指しているような感じに。

 たとえば、バビロン捕囚の頃に、神さまがいったんエルサレムを滅ぼし、それからもう一度それを建て直すというのは神さまの〝みこころ”、それに伴う神さまのさまざまな感情(イスラエルの罪に対する悲しみ、怒り、痛み、憐れみなど)が神さまの〝お心”という具合だろうか。別の言い方をすれば、みこころは神さまの脳からの指令で、お心は神さまの鼓動……(もちろん神さまが実際に脳や心臓を持っているというのではなく、あくまで比喩として)。

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 ダビデ王は、神さまの「心にかなった者」(使徒13・22)と呼ばれた。英語で言うと「A man after God's own heart 」だ。

 彼は行いにおいてはいろいろ失敗もしたけれど、彼の心はいつも主のお心を求めていた。だから、失敗の後も自分の心を頑なにすることなく、主の前にへりくだって悔い改めることができたのではないだろうか。

 悔い改めるには、その罪に対する神さまの悲しみを自分の悲しみとして感じるプロセスが必要だと思うが、行動面の正しさや誤りばかりに気を取られ、主のお心については無頓着なら、私たちは真の悔い改めにも導かれないのかもしれない。一方で、主人のみこころ(計画)は的確に行ったものの、主人のお心は意に介さなかった人物も聖書には登場する。ダビデ王の家来、将軍ヨアブだ。

 彼はサムエル記第二にたびたび登場し、戦いにおいては多くの勝利をダビデ軍にもたらした。さらにダビデ王とアブシャロムの和解を手伝ったり(穸サムエル14章)、ダビデが王らしくない行動をとったり(同19章)、誤った判断をしたりしたとき(同24章)には、それをはっきりと指摘することもあり、知恵のある有能な人物だったことが伺える。では将軍ヨアブは、ダビデ王の腹心だったのかと言えば、どうもそうではなかった。

 初代王サウルの将軍だったアブネルが、ダビデこそ全イスラエルの王となるべき方だと悟ってダビデと和解しようとした矢先、以前自分の兄弟アサエルがアブネルに殺されたことを恨んでいたヨアブは、ダビデの意に反してアブネルを殺害した(同3章)。また、ダビデが息子アブシャロムに追われていたときには、ダビデがはっきりと「私に免じて、若者アブシャロムをゆるやかに扱ってくれ」と頼んでいたにもかかわらず、その気持ちを知りつつもそれを無視してアブシャロムを殺している(同18章)。息子アブシャロムの死後、ダビデはそんなヨアブを退け、代わりにアブシャロムの将軍だったアマサを将軍に任命した。

 その後、よこしまな男シェバによる反乱が起き、将軍アマサが軍を召集するのに手間取っていた隙にヨアブは挨拶をすると見せかけてアマサを殺害し、再びイスラエル全軍の長に返り咲いた(同20章)。

 ダビデの側近であったにもかかわらず、ヨアブはダビデと心を通わせてはいなかった。彼の行動は、ダビデに対する愛や忠誠心からではなく、明らかに自分の目的や利益によって動かされていたことがわかる。傍から見れば、いつもダビデの側にいて王の片腕として支えつつ、ダビデ軍に勝利を与えて来た存在のようでありながら、実際には王を王として恐れることをせず、自分の野心のためにダビデ王に従っていたに過ぎなかったのかもしれない。また、ダビデもそんなヨアブの思いに気づいていたことだろう。

 興味深いのは、ダビデの勇士三十七人の名前が列挙されているサムエル記第二23章で、ヨアブの兄弟アサエルやアビシャイ、さらにはヨアブの道具持ちまで名前が挙げられているにもかかわらず、ヨアブ自身の名はないこと。あれだけダビデ軍に貢献したはずなのに、その名はダビデの勇士として数えられていないのだ!

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 神さまのみこころを知り、それを行う者でありたいと願うけれど、ある意味それ以上に、主の〝お心”を知ることを切に求め、主のハートビートにあわせて生きる者でありたいと願う。ダビデに対するヨアブのようではなく、主に対するダビデのようでありたい。表面的にみこころを行うのでなく、主のお心を感じ、それを尊べばこそ、そのみこころにも誠心誠意をもって従う者に。

 主よ、私たちがダビデのように、あなたの心にかなう者、いつもあなたのお心を追い求める者であれますように……。


(ミルトスの木かげで 第9回 いのちのことば 2012年05月号