実生活の中で「手放す(letting go)」ことを実践するとは、どういうことだろうか。手放すとは、否定したり抑圧することとは違う。何かを手放すとは、それを持っていると認めることだ。自分のものとして所有することだ。手放すとは、それを敵視することではないし、他者に投影することでもない。手放すとは、その否定され、抑圧され、拒絶された自分の部分を(どんなに否定し、抑圧し、拒絶しても、紛れもなく真の自分の一部であるその部分を)、ありのままに見ることだ。ただし、自分の中の悪の部分だとか、欠点として見るのでなく、また誰かほかの人の問題として見るのでもなく、ただそういうものとして見ることだ。それは、現実否認でも偽りでもない。実際のトランスフォーメーションである。

この「手放す」を宗教的な言葉で表現するなら、ある種の「赦し」と言える。不完全な瞬間を、そういうものとしてありのままで受け入れる。そして、それを神にお渡しする。自分の人生が、否定的な物事の流れや、利己的な計画によって決定されるのを拒むのである。これは、非常に異なる生き方だ。自分の過ちや、闇の部分がそこにあることを見ながら、しかしそれを自分の益とも不益ともみなさない。どちらも同じように問題なのだ。

赦しとは双方向に働く。赦しを与える者は、赦しを受け取ることができる。それを受け取る者は、与えることができる。 あなたは媒介となり、あなたの唯一の役目は、その流れを止めないことだ。そうやって、赦しは人々の間で巡り続ける。手放すとは、実は、幸せと自由の秘訣なのである。

(リチャード・ローア The Art of Letting Go: Living the Wisdom of St. Francis)
神に明け渡す(surrendering)とは、諦めたり、屈服したり、降伏したり、操り人形になったり、ナイーブであったり、無責任だったり、計画したり考えたりすることをすべて止めてしまったりすることではない。

明け渡すとは、聖霊の生ける水が流れ続けるための、内なる平安に満ちた場所を持っているかどうかということだ。それは、聖なるお方が現されるための媒介として用いられることを、静かに喜んで求めることである。

(リチャード・ローア  On the Threshold of Transformation) 
 
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