“I am the way and the truth and the life.”  John 14:6

ラビリンスについて 


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 ラビリンスの歴史は古く、紀元前にまで遡り、これまで様々な霊性の伝統の中で、黙想の手段の一つとして用いられてきました。キリスト教では、中世に、諸事情でエルサレムに巡礼に行けないクリスチャンが、ラビリンスを歩くことを巡礼の代用として用いるようになったそうです。13世紀初頭には、フランスのシャルトル大聖堂の床にラビリンスが描かれ、多くの人たちが祈りと黙想のためにラビリンスを歩くようになりました。

 形は主に2種類あり、右の図は
シャルトル大聖堂に描かれたものと同じ形なので、「シャルトル型」と呼ばれます。中心を囲む輪を「周回(サーキット)」と言い、この図は11周あるので、11周回のラビリンスになります。下の図は、「クレタ型」(または古典型)と呼ばれます。


 近年では、ローレン・アートレス(サンフランシスコのグレース大聖堂の元司祭)によって、「歩く瞑想」として紹介され、クリスチャンの間だけでなく、一般からも注目を浴びるようになりました。今日アメリカでは、教会、修道会、病院、ホスピス、リトリートセンター、スパ、公園や市民広場など、様々な場所にラビリンスが設置されているそうです。
 

 (日本には、常設のラビリンスがあるところは少ないようですが、東京都小金井にある聖霊修道院マリア館には、庭に5周回のシャルトル型があるそうです。他にも、大きな布に描かれたラビリンスを広げて歩くイベントは、国際基督教大学や上智大学など、時々各地で行われているようです。こちらで情報が得られるかもしれません。)


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 ラビリンス自体になんらかの聖なる力があるというわけではありませんが、ラビリンスを歩くことは、信仰の歩みを象徴するものとしてとらえることができます。道筋にそって、中心に向かって歩いて行きます。迷路と違って、分かれ道も行き止まりもない一本道なので、必ず中心にたどり着きます。しかし、たどりつくまでに何度も180度の方向転換があり、中心に近づいてきたかと思ったら、いつの間にかいちばん外側の道にいたりします。どの道も似ているので、堂々巡りをしているかのように感じるかもしれません。この道を、祈りつつ、黙想しつつ歩いていると、突然中心にたどり着きます。それは、「わたしは道です」と言われるお方に導かれて歩む、私たちの霊的旅路と重なるのではないでしょうか。
 

 中心に着いたら、今度は来た道を戻ってラビリンスの外に出ます。それは、祈りの小部屋で主と出会い、そこでいただいたものを持って再び日常の生活に戻っていくという、キリスト者のリズムにも通じるものがあるかもしれません。


 ラビリンスを歩くときは、漠然と歩くのでなく、しかし自分のアジェンダを握りしめて歩くのでもなく、神の御臨在に心を開きつつ、耳を澄ましつつ、神とともに一歩一歩進みます。自分の前にある道に沿って歩くとは、自我を手放し主の導きに従いますという意思表示でもあります。 

 ラビリンスに入る前には、しばし立ち止まり、心を静めるといいでしょう。また、出た後も、ラビリンスを歩いた体験についてしばらく思い巡らしの時間(Reflection)をとるといいでしょう。


始めるにあたり、次の三つの段階を心にとめておくと、助けになるかもしれません。


Release: 日々の重荷、思い煩い、雑音、自分の思いを占めるもの(祈祷課題も含め)をいったん手放し、心と思いを主に向けて、目の前の道を中心に向かってゆっくりと歩みます。短い祈りの言葉や自分にとってのキーワード(「シャローム」「手放します」「愛」等など)を、呼吸に合わせて繰り返してもいいかもしれません。
 
Receive: 中心に到着したら、それまでの道のりで示されたことに思いをめぐらし、そこで与えられるものを受け取ります。そして祈りを持って応答します。中心は、巡礼で言えばエルサレムの神殿、神のご臨在の象徴です。急いで出てくる必要はありません。好きなだけここに留まり、主の愛を味わいつつ、安らぎましょう。

Return:
中心で示されたこと、与えられたものを持って、今度は外の世界へと戻っていきます。主がともにおられるという思いを新たにして、私たちが召されている生活の場へと、もう一度戻っていきます。

 しかし、こう歩かなくてはならないというルールはありません。歩くたびに、違う歩き方に導かれるかもしれません。神様の導きに心を開きさえすれば、あとはそのときにふさわしい歩き方を聖霊が示してくださり、主がともに歩いてくださるでしょう。