さまざまな手続きを終え、ついに患者さんを訪問するようになった。私に割り当てられたのは、93歳の寝たきりのおじいさん。

 初めて訪問するときは、やはり緊張した。送られてきた資料を見ると、退役軍人(この世代の男性は、ほとんど皆さん退役軍人)で、従軍時代の話をするのが好き、とあり、日本人の私が訪問しても大丈夫だろうか、とちょっとためらってしまった。人生の終わりになって、自分がかつて戦争で戦った国の人間が病床に現れたりしたら、どう感じるだろうか、と… でも、そんなことは杞憂に終わった。

 私が訪問すると、まずご家族の方が熱烈に歓迎してくださった。介護は大変なので、こうして来てくれる人がいるとそれだけで励まされる、と。 私を派遣しているのは、在宅ホスピスケアをサポートする会社で、医師(治療行為はしないけれど、緩和ケアのため)、ナース、ナース補佐、ソーシャルワーカー、チャプレンがチームとなり、さらに私のようなボランティアを送り込む。なので、このご家族も、決して自分たちだけで介護に当たっているわけではない。しかも、この患者さんは奥さんと二人暮らしだけれど、お子さんが七人いるそうで、そのうちの数人は近所に住んでいるため、家族が交代でお世話をしているという。介護としては、とても恵まれた状況だと思う。それでもやはり大変で、私のようなボランティアが来ることを喜んでくださるのだから、介護というものがいかに過酷であるかを改めて思う。

 私の役割は、"Friendly visit"。要するに患者さんのおしゃべり相手になること。だからこそ、気軽な話し相手をと思っていたところに私のような日本人が現れたら、患者さん(Fさん)はどう思うだろうかと気になったのだけれど、ご家族だけでなく、Fさんご本人も私をすぐに受け入れてくださった。私が日本人だと知ると、「日本人の友達がいて、彼はアメリカ人として戦ったのに、国(アメリカ)からひどい扱いを受けたんだ」と憤慨するようにおっしゃった。Fさんなりに、私に気遣ってくださったのかもしれない。

 寝たきりで、耳も遠く、体は右手がかろうじて動く程度だけれど、意識ははっきりとしておられる。とは言え、やはりお疲れのときが多く、「おしゃべり相手」とは言っても、そんなにずっとしゃべっているわけではない。あまりあれこれ話しかけて、疲れさせてはいけないと思うので、彼の様子を見ながら、ポツリポツリ、という感じ。彼のほうから、おもむろに子供時代の話をしてくれるときもある。退屈に感じることはなく(少なくとも私のほうは)、1時間があっという間に過ぎる。
 
 震える手でゆっくりとサンドイッチを口に運び、スキムミルクを飲む。体が不自由なので、どうしても食べこぼしてしまうことがある。私がそっと口のまわりを拭いてさしあげると、「I am sloppy. I am sloppy(ボクはだらしがないな)」とおっしゃる。「そんなことないですよ。上手に召し上がっていますよ」と声をかける。今でこそ、年老いて、食事も一人では上手くできなくなったけれど、かつては立派な紳士だったのだろうと、彼の雰囲気から伝わってくる。食べこぼすなど、かつての彼には考えられないことで、幼児のように口を拭いてもらうなんて、本当は恥ずかしいのかもしれない。「尊厳」ということを思わされる。病気だから、高齢で体が不自由だからと、幼児を扱うように扱うのでなく、Fさんがこれまで生きてこられた人生に敬意を払い、へりくだってお手伝いしたいと思わされる。


 それにしても、赤の他人の私が、しかも外国人の私が、人生の最期にある人の枕元に座って、おしゃべりしたり、ちょっとしたお手伝いをしたり、うつらうつらする様子をそばでそっと見守るというのは、なんとも不思議な気持ち。 初めての訪問のときは、私の帰り際に、「Are you leaving?」とちょっと残念そう(と私には思えた)な声を出してくださって、なんだか嬉しかった。ああ、私の訪問は彼にとって邪魔ではなかったのだな、と思えたから。私はFさんやFさんのご家族を助けたいと思って訪問しているけれど、実際には、私のほうが、「受け入れてもらう」という驚くべきプレゼントをいただいている。


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(雪の中の聖フランチェスコ。 昨日は10センチくらい積もりました。)