クリスマスカード(年賀状)の準備は、例年ギリギリになってしまい、わりとストレスの元なのだけれど(そういう人、多いですよね!?)、この暮れのカードは、例年にも増して、用意するのに腰が重かった。

 去年は、最後にみんと一緒に写した家族写真を使ったけれど、今年はもう、みんが写っている新しい写真がない。そもそも、家族のスケジュールがバラバラで、クリスマスカードに間に合うように五人で集まって写真を撮ることすらできなかった。私たち夫婦とケンの三人で撮ったものと、あとは娘達一人ずつ(and Wilson!) のものをコラージュ(出来合いのレイアウトですが)にしたのだけれど、初めてみん抜きで家族の挨拶状を作るのが辛かった。みんだってまだ家族の一員なのだから、みんの写真も載せようかとか、みんを象徴する何かの写真を使おうかとも考えた。でも、いつまでもこんなふうに引きずっていてはきりがないし、受け取る側もuncomfortableかもしれないと思い、結局こういうカードになった。

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 このカードを見ると、みんがいないことが心に刺さる。と同時に、このカードを作れたことは、私にとってはグリーフの旅路における一つのマイルストーンだと思えた。みんは、身体的にはもう一緒にいない。でも、今は一緒にいないという彼女の「不在」は、キリストの再臨のときには共によみがえって再会するのだという、将来の希望を想起させる。その意味で、みんのいない中村家のクリスマスカードは、私にとってやがて来る将来の希望の道標の一つとなる。心においては今も一緒にいる。けれども、「一緒にいる」とは、私も死んだら天国で会えるね、とか、心の中に住んでいる、といった精神的・非物理的な次元だけの問題ではなく(それも確かにそのとおりなのだろうけれど)、将来には、神が造ってくださる新天新地において、物理的にも、もう一度一緒にいるようになることを指すのだ。しかもそのときの体は、現在の世界で私たちが知っている体よりもより素晴らしい、朽ちることのない体。

 そう思ったとき、このカードはとても愛おしいものになった。みんが生まれて以来、彼女が写っていない初めての中村家のクリスマスカード。でも、中村家はそれでも主の憐れみと恵みによって、日々を生かせていただいていること、そして将来の再会の希望があることの両方が、このカードには込められている。さらにこの希望は、みんとの再会だけでなく、イエス様と顔と顔を見合わせてお会いするときがくるという、究極の希望へと続く。

 大切なマイルストーン。また一つ扉を開けて、私たちは前に進んだ。
 
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University of St. Mary of the Lakeの建物のドアノブ。)