今日のバイオラ大学のAdvent Projectのディボーションはとても衝撃的だったので、そこで紹介されていた詩を訳してみた。


「修復」   メアリー・コーニッシュ


水が上がってくることがあるのは、だれもが知っていた。

しかし、どこまで高く上がるかは、だれにも分からなかった。
サンタ・クローチェの司祭は言った。「神が
教会を浸水させるはずがない」
アルノ川が氾濫したとき、
神は川となって入ってこられた。そしてご自身のしるしを
祭壇よりずっと高いところにつけられた。
石、漆喰、木
神はすべてのものに触れられた。
「あなたがたは皆、わたしの子どもたち」
神の着物のすそ--それは川底の泥土--は
フィレンツェ中を押し流した。車を、ゴンドラを、
大理石の像の目を、
『天国の扉』までも。そして
御子の手が、刺し通されたその手のひらが、
水に浸され、皮がむけるように剥がれ始めた。
聖霊が現れた。聖人たちの顔についた
塩の結晶の雲となって。漆喰[イントナコ]に描かれた
身体が、まるでよみがえったかのように
壁から浮き上がってくるほどに。

修復についてこれが私の知っていること。
サン・マルコの近くの小さな部屋で
木製の腰掛けに、ただひとり座って
一年間、来る日も来る日も
下書き用の石膏の板に、青い四角をいくつも描くーー
コバルトブルーにあかね色、ビリディアン黄緑、
油煙黒ーー漉した卵の黄身から採った
純粋な色素、それからそれぞれの粉の割合について
鉛筆で書き留めたメモ。自分が作業しているのが
どの部分にあたるのか、尋ねることはしなかったし、
決して知ることもない。多分その中のひとつくらいは
色の合うものがあったかもしれない。告解者の外套か、
ロバの尾のごわごわした毛か、橋の下の穏やかな川か。
自分が何を学んだのかさえも分からない。
青にはさまざまな色合いがあることと、神がどのように入ってこられるのか以外には。

(日本語訳 by 中村佐知 英訳はこちら



 1966年、イタリアのフィレンツェで起こったアルノ川の氾濫により、サンタ・クローチェ教会を含む町中が浸水した。教会の壁画も、十字架も、水に浸かって損傷した。この詩はそのときのこと、そして壁画の修復のためにコツコツと作業したときのことを語っているらしい。この詩の作者の担当は、原画のどこかに用いられる、青色を再現することだったのだろうか。自分が再現する青色が、原画のどの部分に使われるのか知らないままに、ただひたすら、絵の具にいろいろな色素を混ぜる。この中のどれか一つは、原画に使える青色であることを期待しつつ。

 今日のディボーショナルの筆者は、神はときとして川となって洪水のように私たちの生活に入ってきて、その土台から揺り動かし、そこにあったものを洗い流すことがあるのではないかと言う。私たちは自分の生活を守るために堤防をつくる。しかし神は、その堤防を押し流す。「He invades our space and fills every milliliter with His presence. 神は私たちのスペースに侵入し、隅々までご自身の臨在によって満たす。」

 神が押し流すのは、罪によって引き起こされたこの世界の歪みであり、また自分の快適さのために作り上げた私たちの(クリスチャンを含む)生活でもあるかもしれない。

 この詩では、原画を元どおりに修復しようとしているけれど、私たちがこの地において召されている働きは、神の王国の建設に関わるもの。最終的に完成される神の王国において、新天新地において、今私たちが行っていることが、どこでどのように用いられることになるのかは分からない。王国を建てるのは私たちでなく神様だから。それでも、絵画の中で用いられるぴったりの青色の絵の具を混ぜるという地味な作業が、最終的に美しく完璧に修復するために必要であるように、どんな小さな働きであっても、神様は無駄にすることなく用いてくださるのだろう。

「ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。」(第一コリント15:58)


 Santa_Croce_high_altar
サンタ・クローチェ聖堂の祭壇。これがすっかり水に浸かってしまったのですね…