少し前に、スコット・マクナイトが"How to Teach the Church to read the Bible"というウェビナー(インターネット上で行われるセミナー)を行った。私の教会の若手牧師で、現在ノーザン神学校で新約聖書学をマクナイトのもとで学んでいるチャズ・ロビンズ牧師が司会をしていた。

 ウェビナー自体はライブ放送だったけれど、録画は今でも視聴できる。私も今日視聴した。リンクはこちら。
  
 このウェビナーでは、マクナイトが聖書教師としての35年間の経験から、人々(信徒はもちろん、教職者も)に聖書を読むことをどのように教えるかについて、彼が学んできたことを分かち合ってくれた。興味深かったので、ポイントをメモします。

1. 定期的に聖書を読む。
  まずは、定期的に読む習慣をつけるよう励ますこと。祈りにおいて成長するいちばんの近道は、実際に祈ることであるように、聖書も読まなければ何も始まらない。通読表に従って読むもよし、レクショナリー(聖書日課)に従って読むもよし。自分にあった無理のない方法を見つける。

2. この世界における神のミッションの究極的ゴールを知る。 
 聖書を読むにあたり、自分が読んでいる聖書の物語が、最終的にどこに向かうものなのかを知る。つまり、そのゴールとは、黙示録20−22章(や他の箇所)に記されているような、この地における神の王国の完成。 
 神の王国の特徴:
 (1) 神が支配者・統治者(Ruler)である。神はこの世を、神が治めたいように治めておられる。
 (2) こひつじ(つまりイエス)が光であり、神殿そのものである。
 (3) エルサレムは新エルサレムへ、天と地は新天新地へと変容される。 それは今の私たちの世界とまったく異なるものではなく、似ているけれど、より良くされたもの。
 (4) 神の民が神を礼拝している。必ずしも音楽を通してということではなく(音楽も含まれるだろうけれど) 、私たちの生活全体、いのち全体を神に捧げる生き方。
 (5) その王国の特徴は、正義と平和と愛と清さ(この世と分かたれるというのではなくーーもはや分かたれるべき「世」はなくなっているのでーー完全に神に捧げられているという意味での清さ)。
 (6) その王国には、すべての人種、民族が含まれる。

 神の王国の完成という究極のゴールを知っていることで、次の二つが可能になる。
 (1) 今、ここで、どのように生きるべきかがわかる。
 (2) 聖書に書かれていること一つひとつを、どのように読んだらいいかがわかる。聖書を読むとき、自分が読んでいる箇所が、この全体像の中でどう当てはまるかを知る必要がある、
 
3. この世界における神のミッションの起源(origin)を知る。
 どこに向かっているのかという究極のゴールの光のもとで、スタート地点を知る必要がある。 (進化か創造か、などの議論にとらわれるのでなく。)
 創世記1−2章は、神のミッションの起源について次のことを示す。 
 (1) 神が創造主であり、王であり、神が神であること。
 (2)  私たちは神によって造られたものであり、神に依って存在する者であること。
 (3) 私たちには、神のかたちを映し出すというミッションが与えられていること。
 (4) しかし、自らが神になろうとしたことによって、私たちはそのミッションを失敗してしまったこと。贖い(Redemption)とは、 そのミッションが回復されること。
 (5) そのミッションは他者に関わるものであり、他者のために他者とともになされること。それは「創造のかたち」をしている。黙示録20−22章が語るように、この世界が神がデザインされたように花開くことを助けること。

4. そのように、聖書を上手く読むとは、聖書の物語に精通すること。それにより、この起源から究極のゴールまでの間のどこに自分たちがいて、どこに向かっており、この物語の光に照らしてどのように生きるべきかがわかるようになること。この物語における主要点(次にあげる"hot words")の重要性を知っていること。

 (1) 神の民
 (2)  神が神の民と契約を結ばれた。
 (3) 律法(トーラー)とは、神の民にいかに生きるべきかの指示。 
 (4) 神の民は、神ご自身、そして神が任命したリーダーによって治められる。 
 (5) 祭司とは、神と神の民の間の仲介者、執り成し手。 
 (6) これらの要素を完璧にしたもの(the Perfection)であるメシア
 (7) 神の民がイスラエルから広げられたものである教会。 

 これらの主要概念を学び、 聖書を読み、聖書に従って生きることを学ぶときには、絶えずこれらのことを念頭に置かなくてはならない。

5. 基本的な聖書の展開の枠組みを知っていることは、聖書を読む上での助けになる。(聖書の展開の枠組みには、いくつかのモデルがある。)

 伝統的なモデル:創造ー堕落ー贖いー完成
 このモデルは、これまでクリスチャンにとって非常に有益な枠組みを提供してきた。しかしこのモデルの弱点は、聖書の物語の中心を、人間に置いてしまっていること。(どうやったら救われるか、どうすれば自分たちの益になるのか、など)また、個人主義に傾きやすい。キリストが「主体」ではなく、私たちのために何かをしてくれる方、になってしまう。

 マクナイトが提唱するモデル: 神政Theocracy – 
Monarchy – キリスト政Christocracy
 (
マクナイトは、当初これを、「神のプランA、プランB、そして回復されたプランA」と呼んだが、NTライトに「神にプランBはないのではないか」と言われ、プランBという言い方は考え直した。)

6. 聖書を読むことの意義は、「知恵」において成長すること。

 知恵とは、神の世界を神の方法で生きること。神の視点からこの世を読みとくこと。神の方法とはキリストのうちに体現されている。したがって知恵とは、キリストに似た者に変えられること。

 知恵を得るために聖書を読むことは、知識を得るために聖書を読むことを超越する。

7. 聖書を、歴史的文脈に照らしつつ読むこと。
 現代の私たちの文化を、聖書の時代(紀元1世紀)に押し付ける読み方は大きな間違い。(たとえば「奴隷」の概念など。)

8. 良い翻訳の聖書を用いること。 


番外編:視聴者の質問に対する応答より
 聖書を読むことを教えるとき、プログラムや通読プランを与えるだけではうまくいかない。人々に必要なのは、良い模範。ただ聖書を通読しているというだけの人ではなく、聖書のみことばによっていかに自分の生活が影響され、変えられているか、他者にコミュニケートできる人。(たとえば、NTライトの「新約聖書と神の民」を神学校で学生に読ませたら、学生達は大いに触発され聖書を学ぶことを動機付けられた。信徒向けでは、ユージーン・ピーターソンは卓越した旧約聖書学者であるだけでなく、聖書の物語を信徒にわかりやすく伝えることに長けている。)


 

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(これ、多分、スコットの自宅の仕事部屋だろうと思うけれど、本の数がさすが、すごい!)