先々週のある日の夕方。

 ケンをミュージカルのリハーサルのために高校に送り届けて、家に戻る途中、ふと空を見上げたら、突然雲の切れ間からみんの声を聞いた気がした。

 格別美しいというほどの空でもなったが、寒々とした曇天が続いてた中で、久しぶりに雲間から青空が覗いていた。(写真は別のときのものだけれど、こんな感じの空だった。)

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 そしてみんが、天(イエス様の御元)からこう言っているのが聞こえたような気がしたのだ。

 "Even though my body has died, I am happier now."

 
 みんがガンを宣告されて間もなくのころ、彼女はこう言ったことがあった。


 「Even though I now have cancer, I am happier than before. 今はガンになったけれど、(うつで苦しんでいた)以前よりも幸せ」。 

 そして、みんが緩和ケアのために自宅に戻ってきたときも、見舞い客に「I am happier everyday」と言っていた。

 みんが召される前日の夕方には、彼女はベッドから部屋を見渡してこう言った。
「Is this a new church we are going now?  (ここは、今私たちが行っている新しい教会?)」

 みんの目はあのとき何を見たのだろう。あのときのみんは、とても安らかだった。

 みんは若くして死んでしまって可哀想だ、不憫だ、という思いがどうしても私の思いのどこかにあったのだけれど、"Even though my body has died, I am happier now."というみんの声を聞いたような気がしたとき、「みんは今、この地で肉体を持って生きていたときよりも、もっと幸せなんだ」と、とても腑に落ちた。

 私の中で握りめていた身体のあるみんを、神様のもとにようやく手放せる気がした。(これから先も、何度も手放さなくてはならないかもしれないけれど。主よ、憐れんでください。

  もちろん、天での今のみんの状態は一時的なものであって、そのあとにもっと素晴らしいものが待っている。そのときには、She will be even happier! 

 そして、私たちもやがて今みんがいるところに合流し、イエス様とともによみがえる日がやって来る。 そのときには、私たちも、被造物全体も、変えられる。


兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。……この朽ちるべきものが、朽ちないものを必ず着ることになり、この死ぬものが、死なないものを必ず着ることになるからです。……
ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。(第一コリント15:50、53、58)