一週間前の金曜日、また静まりのリトリートに行ってきた。

 このリトリートに参加するきっかけは、先月、The Practiceのポッドキャストで、"All is Gift"というメッセージを聴いたことだった。スピーカーはジョーン・ケリーという女性で、感謝することについて語られた。

 彼女のメッセージを聞きながら、私はこのごろ、感謝することに難しさを覚えるようになっていることに気づいた。感謝だと思うことがあっても、心の中の別の部分が私を引き止め、素直に感謝させないようにしているような…

 ところがそんなことを思った矢先、彼女がポロリと「長男を病気で亡くした」と言った。彼女はそれ以上その件について触れることなくそのまま話が進んでいったのだけれど、私は彼女のその言葉が頭から離れなかった。それで、メッセージを聞き終えてから彼女の名前を検索したところ、彼女はスピリチュアルディレクターで、なんとシカゴの北郊外で、定期的に静まりのリトリートを持つミニストリーをしていることがわかった。さらに調べると、次のリトリートが11月の第1週の週末で、場所は私も3年前の12月にも行ったことのあるところだった。

 3年前のそのリトリートは、私にとって特別なものだった。冬の最中で、荒涼とした景色の中を歩きつつ神様に語られたのは、「荒涼とした景色の中でも、主は私とともにおられる」ということだった。そのとき私は、ブログにこう書いている。 

これから先、人生の中でdesolation を感じるときがあっても、もう恐れる必要はない… そこにも神はおられるから… それでも、主は私をご覧になっていてくださるから。インマニュエル。God with us... even in desolation.
 
 それは、みんがステージ4のガンの宣告を受ける4ヶ月前のことだった。みんの闘病中も、そのあとも、このとき語られたように、試練や痛みの中でも共にいてくださる主に支えられてきた。

 しかし今、いろいろなことについて心から感謝することに難しさを覚えるようになっていた私を、もう一度神様が招いておられるように感じた。このリトリートに行って、ジョーンに会いたい。会って話がしたい。そう思った。

 リトリートの申し込みをするとき、祈祷課題などを書く欄もあったので、私がどのようにこのリトリートについて知ったのか、なぜ行きたいと思うに至ったのかを簡単に書いた。そして霊的同伴のセッションのリクエストも出した。

 リトリートには思ったよりも大勢の人が参加していた。40人くらいはいただろうか。女性が圧倒的に多かったけれど、男性もいたし、20代から30代前半とおぼしき若い人たちも結構いた。リピーターも多いようだった。

 フォーマットは、8時半開始で、まず全体で1時間くらいのセッション。それから個々に分かれて自由に沈黙の時間。ランチも沈黙で。そして、閉会の1時間半前に再び集合して、スモールグループに分かれての分かち合いと、まとめのお話。4時半解散。霊的同伴は、沈黙の時間の最中に1時間組み込まれる。

 ジョーンは私を待っていてくれた。私たちはすぐに打ち解けた。ジョーンもまた4人の子供がいて、亡くなられたお子さんの闘病は11ヶ月間だったそうだ。亡くなられたのは、7年前。通常の霊的同伴では、同伴者は自分の話はあまりしないものだけれど、今回のセッションは例外だった。彼女も彼女の体験を分かち合ってくれた。そしてそれは、私が聴きたいと思っていたことだった。セッションの中で、彼女はこう言った。

 「最初の1年間は、神様の憐れみによって痛みに麻酔がかかっていたような状態だったと言えるかもしれない。麻酔がきれてくると、今ごろになって?というような痛みを感じ始める…  でも、Grief(悲嘆)とGratitude(感謝)は、両立できるのよ。前に進み続けるには、その両方が必要なの。しっかりと悲しむ必要はある。でもグリーフだけでは、この旅路を歩み続けるには重すぎるから。」

 ジョーンとの1時間は、涙あり、笑いありの恵みに満ちた静かな時間だった。神様はなんという聖なる贈り物を用意していてくださったことか。

 セッションの後は、一人で屋外を散歩した。約2時間かけて湖の周りを一周し、3年前にも歩いた場所を、もう一度たどった。主よ、今日は私に何を語ってくださるのですか、何を見せてくださるのですか?と尋ねつつ… 

 その週はずっと曇天が続いていたのだけれど、金曜日は晴れ間も見え、寒すぎることはなく、屋外を歩くにはうってつけだった。3年前は12月だったのですでに木の葉は落ちていたけれど、今回は紅葉が美しかった。

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 自然の美しさの中にいると(写真は全然実際の美しさをとらえきれていませんが)、この世の中にも、自分にも、痛みはあるのに、それでも主を讃えずにはおれなくなる。

 ぐるりと湖を一周して、もうすぐスタート地点に戻ってくるというところで、ノリッチのジュリアンの「All shall be well, and all shall be well, and all manner of thing shall be well」という言葉がふと心に浮かんだ。

 グループの部屋に戻り、同じテーブルの人たちと、簡単にそれぞれの1日について分かち合いをした。みんな、それぞれに必要なことを神様から語られ、その分かち合いを聞くだけでも素直に感謝の思いで満たされた。

 1日のプログラムが終わると、私の隣に座っていたご婦人が、私の手を握って私を励ましてくださった。彼女は70歳で、2年前にリタイヤするまで小児病院で働いていて、なんと子供を亡くした家族のサポートをする働きをしていたそうだ。グリーフケアの専門家! その彼女が、私の隣に座っていて、最後に私の手を握って励ましてくれたとは。神さま、なんときめの細かなご配慮…(涙)

 悲しむ者は幸いです。 その人たちは慰められるからです。
(マタイの福音書5:4)

 感謝祭まであと二週間。素直に感謝の心を持って、この時期を祝うことができそう。

 感謝。

 感謝。