昨日は突然思い立って、夫とシカゴ美術館に行ってきた。私にとっては5年ぶりくらい、夫は、3年前にみんとま〜やと三人でマグリット展を見に行っている。そのときにみんが買ったポスターは、今でもみんの部屋に貼ってある。

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  美術館を1日ですべて観て回るのは大変(というか、たぶん無理)なので、昨日は印象派と近代・現代美術にフォーカスした。シカゴ美術館にあるいくつもの名画のうち、昨日の私に特に心に残ったのはモネだった。(いつだれが見ても感激する絵だとは思うけど。)

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(睡蓮の庭)

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(睡蓮)

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(睡蓮)


 写真ではなく実物を観ると思うと、つい至近距離に近寄ってしまうけれど、部屋の反対側に行って離れた場所から観ると、見え具合が全然違う。混雑している日だと離れて観るのは難しいだろうが、昨日はそれほど混んでいなかったので、心置きなく離れたところから楽しむことができた。

 水面にキラキラ水が反射している様子や、水面に映る影や透けて見える藻がゆらめく感じが、離れてみるとよくわかる。びっくりする。印象派のニュアンスのある色使いは近くで見てももちろん美しいのだけれど、離れて観ると俄然生き生きしてくる。画家は当然ながら至近距離で描いているのに、絵の具の塗り具合でどうしてこんな効果を出すことができるのだろう。写真で観るのと実物を見るのが違うのは、こういうことかと納得する。

 私たち一人ひとりの人生は(そしてその人生が集まったこの世界は)神様が描く絵だとしたら、私たちが人生で体験する様々な事柄は、神様の筆使いの一つひとつ。そこを生きている私たちは、否応なしにその筆使いを至近距離で見ているわけだけれど、そこで私たちが見ているものは、神様の絵の全体像からしたらほんの一部にすぎない。そして、至近距離で見る私たちにとってはどうってことのないただの白っぽい一点でも、意味不明なライン一本でも、神様の絵を離れたところから見るならば、それはキラキラした光の輝きを表現する大切なストロークなのかもしれない。私たちのいのちは、慈愛に満ちた神様の御手から描き出される。

  ところが、神様の描く絵を台無しにしようと虎視眈々と狙っている輩もいる。隙あらば神様のキャンバスに泥を投げつけ、乱入して神様が意図しておられたのとは全く違う色を塗りつけてくる。しかしいのちの絵の巨匠である神様は、そんな邪魔が入っても、時にはきれいに塗り直し、また時にはそれを利用して一層美しいものに描き換えてしまうことができる。タールのような醜いものをべったりなすりつけられてしまっても、神様はそこを絵に動きと深みを加える美しい影に描き換えることができる… そして、遠くからその絵を観るならば、近くからではまったく見えなかった美しい情景が広がっているに違いない… 

 モネの絵を観ながら、そんなことを考えていた。 


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(ウォータールー橋)

 
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 ミロの絵の前で。

 ランチは美術館の中のレストランで。これはスモークサーモンとポーチドエッグのオープンサンド。

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 そしてそのあとは以前から行ってみたかった澤田コーヒーへ。日本人のラテアート世界チャンピンの澤田さんのお店。ただし、澤田さんがお店におられることは滅多にないみたい。

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  そんなわけで、昨日は突然の遠足みたいな嬉しい1日でした。