すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう」と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。
(マタイによる福音書28章9節)


こんにちは、私の顔を照らす太陽
こんにちは、朝をつくり
それを野原全体に
チューリップの花の中に
うなずく朝顔に
ーーそしてみじめで気難しい人の窓辺にさえも
届けてくれるあなた

あなたほどの説教者はいない
愛しい星よ
あなたはこの宇宙のちょうどその場所にいて
私たちを永遠の暗闇から助け
その暖かさでくつろがせ
光の偉大な手の中に抱いてくれるーー
おはよう、おはよう、おはよう

さあ、見ていて。幸せと優しさの中で
私がどのようにこの日を始めるのかを


Hello, sun in my face. 
Hello, you who made the morning 
and spread it over the fields 
and into the faces of the tulips 
and the nodding morning glories, 
and into the windows of, even, the 
miserable and the crotchety –

best preacher that ever was, 
dear star, that just happens 
to be where you are in the universe 
to keep us from ever-darkness, 
to ease us with warm touching, 
to hold us in the great hands of light – 
good morning, good morning, good morning. 

Watch, now, how I start the day 
in happiness, in kindness.

(メアリー・オリヴァー 詩集「なぜ私は早く目覚めるのか」より 私訳)

 
 そして、最近読んだ本(『事実によりてーー福音の証言』西田恵一郎・西田玄 著)より。(この本については、いずれ改めて取り上げたいと思うけれど、今日はその中で、印象に残った箇所の一つから…)

 最後にもう一つだけ加えておきたいと思います。それは、もしわたしたちが小さなことに感動し、感謝する心をもつことができるなら、わたしたちの「生」は、より「充実した生」に近づくのではないかということです。

 『暴力と聖性』の中でレヴィナスは言います。
最初に口にするのは「おはよう」ではありませんか? 「おはよう」とおなじように単純なことなんです!「おはよう」というのは祝福であり、他の人に向かって何か自分にできることがあればやりますよ、と意思表示することではないでしょうか。「おはよう」というのは「なんと天気がいいのか」という意味ではありません。それがいいたいのは、「私はあなたの平安を望んでいます。私はあなたのために今日がよい天気であることを望んでいます」ということです。これは他者を気遣う人が口にする言葉なのです。コミュニケーションの残るすべて、言説の残るすべては、ことごとく、この「おはよう」のひとことのうちにこめられています。

 死より蘇られた朝、復活の知らせを弟子たちに告げようと道を急ぐ婦人たちに、イエスは「おはよう」と言われました。そして、「恐ることはない。行って、私の兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる」(マタイ28章10節)と続けました。そこに弟子たちにとっての新しい生活が待っていました。わたしたちにとっての「充実した生」は、小さなこと・単純なことから始まるのです。「おはよう」とのイエスの言葉に「おはようございます」と応え、そして誰かに「おはよう」ということから新しい何かが起こるのではないでしょうか。

おはよう、おはよう、おはよう。
さあ、見ていて。幸せと優しさの中で、私がこの日をどのように始めるのかを。

(今朝、うちの庭を行き巡って撮した、朝日の中の花たち)
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ブリーディングハート

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ヴィオラ

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チューリップ

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20年前に植えたチューリップ、いつの間にか駆逐されたと思っていたら、今年は一本だけ出てきた!

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ムスカリ

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水仙

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咲き始めたばかりのチョウジガマズミ