2年前の4月の第1週、エミの誕生日を祝うためにパパと二人でNJに旅行中だったみんは、背中の激痛におそわれて救急病院に運ばれた。そこでの検査で、背骨(首のあたり)に圧迫骨折があることと、複数のリンパ節が腫れていることがわかり、悪性リンパ腫かもしれないので即刻シカゴに帰ってそこで詳しく検査を受けるようにと言われた。夫は夜通し車を走らせ、翌早朝、シカゴ大学の病院にみんを入院させた。それが4月5日の復活祭の日だった。    

 その翌日、私たちに知らされた検査結果は、「転移癌」だった。どこが原発かはまだわからないけれど、すでに複数のリンパ節と背骨に転移があるので、ステージ4になると言われた。  

 みんがガンの宣告を受ける一ヶ月ちょっと前、みんは夫にこんなメールをしていた。
Begin forwarded message:

From: Miho Nakamura
Subject: Hallelujah Full score
Date: February 23, 2015 at 9:43:05 PM CST
To: Noboru Nakamura 
Emi made 3-part vocal arrangement and piano accompaniment. if you want to add some guitar bits to the score please do!!!!! Otherwise look forward to the final product. Tenks dad ~~~~~~
<3 

 私の誕生日には間に合わないものの、母の日のプレゼントに、私の大好きなレナード・コーエンの「ハレルヤ」の復活祭バージョン(ケリー・ムーニー作詞)を、エミの編曲で3部合唱にしてエミ、みん、ま〜やで歌い、可能ならパパにギターも入れてもらおうという相談のメール。

 その後エミは三人の練習用の動画も作った。エミが一人でそれぞれのパートを歌って重ねたもの。みんとま〜やはこれを見ながら自分のパートを練習するはずだったらしい。

 こんな話があったなんて、私はまったく知らなかった。その1年後、みんが召されてから、夫が突然、「そういえばこういう話があったんだよ」と教えてくれた。私は仰天して、「ぜんぜん知らなかったよ!どうして誰も教えてくれなかったの?」 エミも、「あれ、ママ知らなかったの?」

 せっかく計画してくれてたけど、みんが病気になってしまってそれどころではなくなり、そのままお蔵入りになっていたこの歌。私が「どんなアレンジだったのか知りたい!」というと、エミはこの動画をYouTubeにアップロードしてくれた。




 もともと私の大好きな歌である上に、歌詞は復活祭バージョンだし、娘たち三人で私のために歌うことを計画してくれたみんの優しさを思うと…(涙)


 ほんの数日前、カトリックのグリーフ(悲嘆)カウンセラーの方(というか、チャプレンなのかな?)とメールで話していたら、その方がこのようにおっしゃった。

マリアは自分の意思でイエスという子の母親になったのではなく、まだヨゼフと正式に結婚していない時に、突然、ガブリエルからお告げを受け、もう神の子を身篭っていることを知り、謙虚な無我の心でそのことをあるがままに受け入れたのですが、この驚きがマリアの一連の悲しみの始まりとなります。
 
シメオン翁から、この子の為にあなたは苦しむ事になるだろうと預言されてから、マリアとヨセフは幼いイエスをつれてナザレを脱出し砂漠の中を何日も辛い旅をしなければならなかった。そして、ヘロデ王が死ぬまで見知らぬ土地、エジプトに潜伏しなければなりませんでした。イエスが12歳の時、エルサレムで“迷子”になる事件がありマリアを心配させ困らせました。そして、大人になり福音を教えだしたイエスはついに逮捕され、濡れ衣をふっかけられ死刑判決を受け、ゴルゴダの丘へ自分が磔にされる重い十字架を背負い登っていく。。そして、釘で打たれて磔に。。そして十字架の上で呻き、息絶える。マリアはわが子のこうした痛々しい最後の一連をすべて見届ける。そして、埋葬する前にもう一度、かわいいわが子の冷たくなった遺体を抱く。母としてのこのような悲しみ、いったい誰に分るのでしょうか。。。

中村さんも、母として、みんちゃんと一緒に戦いぬいてきました。そして、みんちゃんが息を引きとった時、マリアがイエスの亡骸を抱いたように、みんちゃんの魂がなくなった体を暫く抱いたことでしょう。そして、今でもあの時の感触が、それ以前にみんちゃんと共有した様々な喜怒哀楽での感触と共に、フラッシュバックすることでしょう。
イエスは3日後、復活し、また母マリアの前に現れ、安心させたことでしょう。でも、みんちゃんの復活はまだですね。しかし、中村さんが体験し続けているグリーフをマリアのそれに照らしあわせてみられればどうでしょうか? マリアにとっては3日間とはいえ、数にこだわらなければ、3日というのは限りがある時間と解釈でき、それ故、どんなにそれが長く続こうが、中村さんのグリーフも無限ではないのだと理解できます。
マリアは中村さんに誰よりもその憐れみを注ぐことができると思います。マリアは、神の意思に従った故に、誰よりも愛する子供が苦しい思いをした末に失ったことのグリーフを身をもって経験している母親です。だから、マリアがまず慰めてくれるでしょう。そして、グリーフから癒されるということは、何も愛するみんちゃんのことを忘れて、新しい生活にシフトすることではないのだ、とも教えるでしょう。更に、マリアは、私の息子、イエスがどうしてあのように苦しみ、殺され、それ故に、私があのように心を引き裂かれ、グリーフを背負ってきたか、今度は、あなたが信じる私の息子に直接祈りをとおして聞いてごらんなさい、ともアドバイスするのではないでしょうか。
すると、マタイ11:28-30にあるようなイエスの声が聞こえてくるでしょう。。。“さあ、遠慮いりません、あなたが抱え続けてきたその不安や恐れなどの重たいグリーフの心のくびきを私のところへ持ってきなさい。そして、わたしの軽いくびきと取り替えましょう”、という声が。。

(中略)
復活後、イエスは40日間弟子たちと共にいましたが、昇天してしまい、再降臨の時までお目にかかれません。そして、イエスの再降臨の時は、イエス自身がヨハネ6章で度々預言したように、私達の復活の時でもあります。その詳細については、中村さんが昨年ブログに書かれたようにパウロによるコリント人への第一の手紙15章35節以下にありますね。だからみんちゃんはそれまでの間、天国でイエスや父なる神にお目にかかる為のおあつらえ向きの朽ちない特別な衣装の試着などをしてその時に備えているのです。
一方、イエスは最後の晩餐のとき、弟子達にパンを与え、これが私の肉体だ、そして、杯のぶどう酒を与え、これが私の血であり新たな契約だ、と告げ、私と再会するまで、このパンとぶどう酒の儀式を続けていくことで私のことを覚えておくように指示しました。つまり、私達がイエスの再降臨によりイエスとお目にかかれるまで、私達信者は2,000年近く前にその肉体がこの世から無くなったイエスのことを思い出し続け無くてはならないのです。パンとぶどう酒により最後の晩餐の時のイエスを思い起こし、あの死の前夜の彼の言葉を改めてかみ締めるのです。それが私達の信仰であり、言ってみれば、信仰とはイエスを忘れないようにグリーフを続けることではないでしょうか。
そうであれば、自分のほうから、癒されなければならない、とか考える必要は無いでしょう。グリーフをあるがままに受け止め、すべてをイエスに任せておくことができます。そして、それを思い起こさせてくれ、母親特有のグリーフを共感してくれるのがイエスの母、マリアです。

(中略)

悲嘆、グリーフ、という言葉にとらわれずに、不安や恐れなどを含めたすべての体験を(三位一体の神との)shared spiritualityによる愛着の表裏一体現象だとあるがままに受け入れ、それにともなう苦痛というくびきはイエスのところへ持っていき、楽にしてもらい、グリーフの旅をshared spiritualityに特徴つけられる信仰の旅だとすればどうでしょうか。
 慰められた…なんて、そんなに簡単に言えないくらい、なにかすごく大切なことを語っていただいたような気がした。こういう助け手が備えられていることも、なんという恵みだろう…

 みんが今ごろ天で、よみがえりのときに備えて朽ちない身体を試着していると考えるのは、なんだかとっても素敵。みんのために特注されたからだを試着しながら、「Mom!  What do you think? How do I look?  I really like this body! I'm taller now! And the scars on my body are now shining in gold!」などとみんが嬉しそうにはしゃいでいるのが目に見えるようだ。みんの元気な声まで聞こえてくる。そうだよね、今みんは、天のイエスさまのもとで安全に守られているのだものね、元気にしてるよね。

 それにしても、このお話を伺いながら、あらためてマリアの思いが心に迫り、この絵を思い出した。 赤ん坊のイエス様を抱くマリアと、十字架から降ろされたイエス様のからだを抱くマリア(「ピエタ」)のコラージュ。題して、「The Passion of Mary」

PassionMary
(
Katherine Kenny Bayly "The Passion of Mary") 

 「グリーフの旅をshared spiritualityに特徴つけられる信仰の旅」と考える… そうか… まだ、咀嚼するまでに時間はかかりそうだけれど、何か示唆をあたえられた気がする。感謝。

 感謝。