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 2012年4月から始まったFacebookでのNTライト読書会ですが、今年の4月で6年めに入りました。
 これまで、「How God Became King」、 「Surprised by Hope」、「クリスチャンであるとは(Simply Christian)」と読んできましたが、この4月からは、新しく邦訳が出たばかりの「シンプリー・ジーザス(Simply Jesus)」を読み始めています。

 Facebookでのこの読書会が始まった当時は、ライトの著作で日本語に翻訳されているものは、「ティンデル聖書注解 コロサイ人への手紙、ピレモンへの手紙」のみでしたが、現在では「クリスチャンであるとは」(翻訳:上沼昌雄)、「新約聖書と神の民 上巻(キリスト教の起源と神の問題 1)」(翻訳:山口希生)、「シンプリー・ジーザス」(翻訳:山口希生・山口秀生)、そして「使徒パウロは何を語ったのか」(翻訳:岩上敬人)が出版され(翻訳者の敬称略)、さらに出版予定が続いています。今後の展開が楽しみです。

 個人的には、私はなぜかNTライトが好きで、よく理解できていないくせに好きで(汗)、彼が書いたものを読んでいると、胸がいっぱいになって泣けてくるのです。彼の著作は非常に専門的なものから一般向けまで守備範囲が広く、私が読むのは一般向けのものばかりですが、それでも内容はものすごく深くて濃いです。それでいて、読んでいると心が奮い立たされてくるというか、なぜだか感動して泣けてくるのです。

 この読書会は、「非公開」のグループなので、投稿は、グループに入っている人だけに読めます。「シンプリー・ジーザス」は読み始めたばかりですので、今からでも加わりたい方は、ぜひどうぞ!


 

 「シンプリー・ジーザス」は、日本のキリスト教書店でお求めになれます。オンラインでしたら、出版社あめんどうさんのウェブサイトから注文できます。


〈「まえがき」より抜粋〉

 本書のタイトル『シンプリー・ジーザス』は、先に執筆した『シンプリー・クリスチャン』(邦題『クリスチャンであるとは』)との連続性を意識して名付けました。しかしシンプルにといっても、色々な意味があります。  私はシンプルな問いに対し、さまざま側面をまとめ上げながら、できるだけシンプルに答えようと決意しました。私の考えていることが、心からイエスへの道を知りたいと願う人、実際に人として歩んだイエスに近づきたい人、そしてイエスを通じて神に出会いたいと願い、また「イエスに従う」ことの意味が実感できる人生のあり方を求めている人、そういう人たちに役立つことを願いながら。  本書は三つの部分で構成されます。第一部は五つの章からなり、そこで鍵となる問いとは何か、大切なことは何なのか、そして今日それらの答えを見つけるのが困難なのはどうしてなのかを説明します。

 次に、本書の中心的な部分である第二部(第六章から第十四章まで)では、イエスの公生涯とはいったい何だったのか、彼は何を成し遂げようとし、どのようにそれに取り組んだのか、それらについてできるだけシンプルに私の考えを述べます。  第三部は、一つの長い最終章から成っていて、それを「だから何なのか?」と名付けることができるでしょう。言い換えるならイエスについてのすべてが、「現在に生きる私たちにとってどんな意味があるのだろうか?」ということです。イエスが神の王国を開始したことが、現代とどのような関係があるのか、それを今日の人々が理解しようとするときに採る四つのアプローチを描きます。 

 以前、2014年のクリスティアニティー・トゥデイ誌に出たライトさんに関する記事についてブログに書いたことがありましたが、そのとき、クリスティアニティー・トゥデイ誌の記事にはこのように書かれていたと書きました。

「…しかし、おそらく最も重要な讃辞はこれだろう。ライトの言葉、説教、著作に触れるとき、人々はイエスを見ると言うのだ。そして、人生が変えられると言うのだ。
 …たいていの学者は、ほかの学者のことについて語るものだ。一握りの幸いな学者だけが、聖書について語る。その中でもさらにほんのわずかな学者だけが、神について語る。大勢の偉大な学者たちの肩の上に立ちつつ、ライトは神について語ることを試みる。そして、彼の紡ぐ言葉には、それらがきわめて重要であるとの切迫感がある。もしライトが招きをするなら、人々は前に出てくるだろう。

 私がライトの本を読んでいると、なんだか泣けてきてしまうというその理由は、きっとこのあたりにあるのでしょうね…  神学的にすごく深いはずなのに、神学を知らなくても読めて、神様を慕う気持ちが募って泣けてくる… 彼の本は、そんな本。