今週、テキサスはヒューストンでバイオロゴスのカンファレンスが開かれた。

-Biologos 2017  Christ and Creation

 メインスピーカーには初代バイオロゴス会長のフランシス・コリンズを始め、NTライト、スコット・マクナイト、アンディ・クラウチと、私にも馴染みのある名前がならび、ほかにも分科会ではトレンパー・ロングマン3世やジョン・ウォルトンなども講師を務めた。私もぜひ参加したかったのだけれど、ちょうど春休み中のエミが帰省していたこともあり、見送った… と思ったら、ライブ・ストリーミングもあってチケットが買えるとのことだったので、即購入。メインセッションだけしかストリーミングはされなかったけれど、それでもたくさんあって、十分満足。(ちなみに、会場には日本からの参加者も3名ほどいたもよう。)

 今年は、フランシス・コリンズの「The Language of God(邦題:ゲノムと聖書)」が出版されてから10年目にあたる。特にそれを記念したカンファレンスというわけではなかったけれど、何度かそのことに言及されていた。バイオロゴスのカンファレンスは、長いこと招待制だったけれど、2015年に初めて一般の参加者にも公開された。初期のころは、招待されて参加しても、自分が参加したことは公表しないでほしいという参加者も少なくなかったらしい。当時は、福音派のクリスチャンにとって、それくらい、ある意味タブーなカンファレンスだったのかもしれない。(ちなみに私の以前のブログのトップページからリンクしていた、ティム・ケラー牧師による「創造と進化ーー牧会者の視点から」という文書は、第一回目のバイオロゴスカンファレンスで発表されたもの。)それが、今では一般にも開かれるようになり、大勢の人たちが喜んで参加するようになったのだから、素晴らしいことだと思う。今回のカンファレンスには、ウィロークリーク教会のアロン・ニークィスト牧師(ビル・ハイベルズの義理の息子)がワーシップリーダーとして参加していたのも嬉しかった。ストリーミングではワーシップの様子は見れなかったけれどね。それでも、初日の晩のメインセッションで、NTライトとフランシス・コリンズがギターを取り出して、ビートルズのYesterdayの替え歌、「Genesis」をデュエットで歌うのは観ることができました。:) 
  
あ、今、バイオロゴスのサイトを見たら、私が撮ったそのときの写真がサイトに使われてたw

-The Sights and Sounds of Biologos 2017 Conference 


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(この写真は、パソコンの画面を携帯で写したもの。私のツイートも載っていた。)

 それにしても、フランシス・コリンズの講演を聴いて、「Language of God」が出てからの10年間で、科学の分野はずいぶん前進したのに、教会側の認識や対応はほとんど変わっていないことを、つくづく思った。科学の分野では、あの本の中ではまだ可能性としてしか言及されていなかったことで、すでに実現したこともいくつかある。たとえば、幹細胞研究の分野では、ちょうど日本語訳が出たころ、京都大学の山中先生のグループによってiPS細胞が発見されたところだった。特定の病気を遺伝していないかどうかを調べるためのGenetic counselingも、すでになされている。(みんも、彼女のスキルス胃がんがRHOA遺伝子による遺伝かどうかを調べるために受けた。もしも彼女がこの遺伝子を持っていたら、うちのほかの家族にもこの遺伝子がある可能性があり、それを調べることによって、ほかの家族もスキルス胃がんになる可能性があるかどうかを知ることができる。しかし、幸いなことに、みんはRHOA遺伝子を持っていなかった。)このような難治性の病気で遺伝の可能性がある場合は、DNAを調べることはすでにかなり一般的になっているらしい。しかし、ほかのことを知るためにもDNAを調べることも可能だ。その場合、どこまでは倫理的に許容範囲なのか、誰がどうやって決めるのか…
 
 「ゲノムと聖書」の補遺にもあったし、今回の講演の中でもコリンズ博士が語っておられたのは医療や生命科学などの分野における倫理問題について、教会もそのディスカッションに加わるべきだということ。しかし現状では、教会はほとんどuninformedかつ無関心で、この大切な問題に関われる状況にはない。医療技術がどんどん進んでいく中で、教会が自分たちの無知と無関心ゆえに取り残されていくなら、これは深刻なことだと感じた。その意味では、この10年で教会の態度はほとんど変わっていないのではないだろうか。

 しかし神学的には、決して無変化ではないように思う。今回のカンファレンスでも、スコット・マクナイトとカナダの生物学者デニス・ヴェネマがDNAシーケンスから見出せる生物学的進化の証拠と、その証拠を考慮に入れつつ、「アダム」をどう解釈することができるかについての話をしてくれた(彼らが1月に出版したばかりの、
Adam and the Genome: Reading Scripture after Genetic Science 」という本をもとにした講演)。
 10年前は、生物的進化は受け入れていも、史的アダムは否定できないという神学者/牧師はまだ多かったのではないかと思う。でも、この10年で、アダムをめぐる解釈に関する本は何冊も出された。(私はどれも読んでいないのだけれど。)以前ブログに、「信徒の私としては、史的アダムの解釈のこととかあれこれ言えないので、科学側から証拠が出てきたなら、次は神学者さん、聖書学者さんにがんばってもらうしかない」みたいなことを書いたことがあった。(それとも、ブログではなく、誰かとのメールのやり取りの中だったかなぁ…)聖書学者さん、頑張ってくださっているんだ。感謝。

 スコット・マクナイトの講演で、彼はこんなことを言っていた。「原罪について私はどう思うのかと聞かれることがありますが、私がどう思うかなんて、関係ありません。私は聖書学者なので、私の関心は、聖書がなんと言っているかを知ることだけです。でもそう言うと、『あなたは、個人的には、どう信じているのですか?』と聞かれます。だから私は言うのです。私がどう信じているかは重要ではありません。私が知りたいのは、聖書はその問いにどう答えているのか、B-I-B-L-E、それだけです」

 科学が出してきた証拠を考慮に入れながら聖書を解釈するなんて邪道だと思う人がいるかもしれない。でも、今までだって、聖書解釈はさまざまな他の分野(特に考古学とか)の発見を考慮に入れながら進められてきたのだ、と言う話をどこかで聞いたことがある。だから、生物学的な研究が見出したものを考慮してアダムの解釈を考え直すことだって、少しもおかしなことではないと思う。

 余談だけれど、「舟の右側」誌に、しばらく前に水草修二先生が「神のかたちであるキリスト」という3回連載の記事を書いておられた。(難しかったけれど、とても勉強になる記事でした!)その中で、原始キリスト教や古代教父たちにとっては、「神のかたち」とはキリストのことだったのに、その後の神学の発達によって、特にアウグスティヌスが提唱した解釈に始まって、創世記1、2章に出てくる「神のかたち」はキリストであるという考えは、どこかに置き忘れられてしまった、というようなことが書かれていて、なんだかびっくりした。私は、コロサイ1:15〜16から、キリストは見えない神のかたちだと、そのまんま受け取っていたのに。ともあれ、今私がここで言わんとしているのは、"伝統的な"解釈とか、神学的なしばりのようなものによって、聖書の読み方が限定されたりしてしまうことがあるらしいということ。でも、そういうプレッシャーに負けずに「B-I-B-L-E」をひたすら見つめ続けてくれる聖書の学者さんたちが、私たちの聖書理解に新しい光をあてるのを助けてくれるのは感謝なことだと思った。

 ほかの講演についての感想も、また後日書くかもしれないけれど、今夜は遅くなってしまったのでここまでにします。ライブストリーミングで参加した、一信徒の感想でした。


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これは、メインスピーカーの一人、社会学者イレーヌ・エックランドの言葉。