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(少しだけ春)

 アメリカ(のほとんどの州)は、今日から夏時間です。シカゴと日本の時差は14時間になりました。

 今は日曜日の午後4時半で、太陽はまだまだ高いです。真冬のころは、4時半には日が暮れて真っ暗になってしまうのですが。その代わり、明日の朝起きるときは、まだかなり薄暗いことでしょう。しかも明日の予報は雪らしいです。夏時間になったのに…(笑)

 NTライトのSimply Jesusの邦訳が、「シンプリー・ジーザス」としてあめんどうさんからいよいよ出版になります。翻訳者はライトの直弟子である山口希生先生と、先生のお父様の山口秀生さんです。 

(本書の詳細、予約注文はこちらから。アマゾンからの購入は数ヶ月先にならないとできないそうです。) FacebookのNTライト読書会でも、「シンプリー・ジーザス」を読み始めました。興味のある方は、ぜひご一緒に!

本書のタイトル『シンプリー・ジーザス』は、先に執筆した『シンプリー・クリスチャン』(邦題『クリスチャンであるとは』)との連続性を意識して名付けました。しかしシンプルにといっても、色々な意味があります。  私はシンプルな問いに対し、さまざま側面をまとめ上げながら、できるだけシンプルに答えようと決意しました。私の考えていることが、心からイエスへの道を知りたいと願う人、実際に人として歩んだイエスに近づきたい人、そしてイエスを通じて神に出会いたいと願い、また「イエスに従う」ことの意味が実感できる人生のあり方を求めている人、そういう人たちに役立つことを願いながら。(序文より)

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 序文で、この本はライトのお父さまが91歳で亡くなられた後に書いた一冊めの本だということが記されていました。お父さまは60代半ばまで神学書や聖書学に関する本などほとんど読んだことがなかったのに、ライトが執筆活動を始めるようになってから、ライトが出版した本はすべて読み、感想を伝えていたそうです。その感想がまた可愛くて、「本を読みながら『終末論(エシャトロジー)』という言葉を3回も辞書で調べたよ。何度調べても意味を忘れてしまうんだ」とか、復活に関する700ページにもわたる本が出版されたときには、それをなんと3日で読んで、「600ページくらいまで読んだところで、ようやくこの本を読むのが楽しくなってきたよ」とか… ライトは、彼の書く一般向けの本(「シンプリー・ジーザス」や「クリスチャンであるとは」など)は、無意識のうちにもお父さんに読んでもらうことを念頭に置いて書いていたことに気づいたと言っていました。言い換えれば、お父さんのような人ーー「終末論」という言葉を聞いて、何度辞書で引いてもすぐに忘れてしまうような、ごく普通の一般の信徒wーーを読者として想定しながら書かれているということでしょうか。どうりで、ライトの書く一般向けの本は、アカデミックにも深いはずなのに、信徒にとっても読みやすくなっているわけですね。

 私は序文だけ日本語版を読ませていただきましたが、ものすごく読みやすい翻訳になっています。また、序文の最後で触れられていた、お父様へのライトの追悼の想いが私の心にも深く響きました。原書では、「As I grieve his passing....」となっていて、当然のことながらライトもお父様の召天をgrieveする(嘆き悲しむ)のだということに、ある種の慰めのようなものを感じました。

父の死を悼み、本書を父の思い出に捧げます。感謝と、愛と、そして希望と共に。

 私もつい先日、ようやくライトのSurprised by Hopeの邦訳原稿を脱稿したのですが、みんの召天と向き合うことになったこの時期に、キリスト教信仰が差し出している、「死後のいのちの後のいのち」という本当の希望(個人にとっての希望であるだけでなく、共同体、そして被造物全体にとっての希望)と、その希望があればこその「今、ここで」の生き方について記された本と関われたことに、心から感謝でした。私の中で、Surprised by Hopeの翻訳版は、みんに捧げる想いです。(ただし、Surprised by Hopeの邦訳版が実際に出版されるのはまだ当分先ーー来年とか?ーーになると思います。それまでの間、「シンプリー・ジーザス」をお読みください!)