パウロはローマ書8章で、被造物全体が贖われることを切望して、うめきとともに産みの苦しみをしていると主張している。被造物は良いものだが、神ではない。美しいが、その美しさはつかの間のものである。痛みの中にあるが、その痛みは神のお心の中に取り込まれ、新しい誕生に伴う痛みの一部となる。(NTライト  Surprised by Hope 13章より  太字ははちこによる)

 

 今日は気温は低かったけれど、よく晴れた気持ちの良い土曜日だった。1年前の今日も、寒いけれどよく晴れた日だった。今朝は、朝いちばんで、お花屋さんが見事なアレンジメントを配達してくれた。

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(Jぽろちゃん、ありがとう。涙)

  今日はケンがずっと数学の問題に取り組んでいて、いつもなら自分の部屋で過ごすことが多いのに、今日はずっと私と夫のそばで問題を解いていた。ウィルソンも私たちのそばにいて、四人(三人と一匹)でくっついて、1日まったり過ごした。


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 みんが、1年前の今日の午後、うつらうつらしていたのに急に目を開けて、あたりを見渡して、「ここは、私たちが今行っている教会なの?」と言ったときのことを思い出す。 

 NTライトは、天と地は部分的に重なり合い、噛み合っていると言った。天、すなわち神様のおられる領域とは、どこか遠く離れたところにあるのではなく、実は私たちが生きているこの世界と重なりあっているのだ、と。 ケルトの伝統では、天と地の境目が薄くなっている部分を"Thin Place(薄い場所)"と呼ぶそうだ。Thin Placeでは、この地にいても天の栄光や麗しさを垣間見ることができる。それは、この世のものとは思えないような憐れみや優しさや美しさが現されるという形で垣間見られるのかもしれないし、神様の臨在が特別に強く感じられるという形で垣間見られるのかもしれない。

 あのとき、大勢の方たちが祈ってくださる中で、御使いたちに囲まれて、きっとみんが寝ていたあのベッドがThin Placeとなり、天が垣間見えたのではないかしら、なんて思ったりする。

 あの日、あの部屋はみんの吐血のにおいが充満していた。 部屋にはたくさんの花が飾られていて、特にユリの花が芳香を放っていた。みんの吐血のにおいとユリの芳香が混ざり合い、結びついて、私の記憶の中でみんを思い出させる香りとして刻まれた。今でもユリの香りをかぐと、みんを思い出す。そして時々、なにかの拍子にふっとユリの香りが漂ってくることがあるのだ。そんなとき、私はみんがそばにいるような気がする。

 みんが亡くなって一ヶ月後くらいだったろうか、近所に住む友人とジムに行って、数マイル歩いたことがあった。そのとき、ジムのトラックを歩いていたら、どこからともなくユリの香りがふわりと漂ってきた。気のせいだったのかもしれない。友人たちには言わなかった。ゴムと汗のにおいでいっぱいのジムで、ユリの香りがするはずはないのだから。でも私は、私が運動しているのを見て、みんが喜んでくれているのだと思った。みんが、「I'm proud of you, Mama!」と言ってくれているような気がした。

 今この部屋は、私が買ってきたユリと、お友達が送ってくれたアレンジメントの中のユリで、その香りが満ちている。
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そして、今日日本から送られてきた、さくら仕様のリラックマだよ、みんちゃん。(Sさん、ありがとう。涙)
 
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 明日は、みんの親友のEちゃんが来てくれることになっている。Eちゃんは、いちばん何度もうちに足を運んでくれているお友達。

 穏やかな土曜日。イエス様がkeep vigilしてくださっているのを感じる。Thank you, Jesus, for staying particularly close to us for this special weekend...