先日、ある友人とスカイプで話した。まったりと会話する中で、話題が祈りや苦しみの意味、そして宣教に及んだ。最近、祈りについて、特にとりなしの祈りや請願の祈りについていろいろ考えていたので、そのあたりの私の思いを分かち合った。


 祈りがかなえられれば、祈った人は当然神様に感謝し、神様の御名を讃える。当然のことだと思う。でも私は、祈りが
聞かれたから(=祈った通り、またはそれ以上に良いことが起こったから)やっぱり神様はすばらしいね」と言うことに抵抗がある。(とはいえ時々そう言っちゃうこともあるけど…汗)だって、そういう言い方をすると、祈りがかなえられなかったときは、神様はすばらしくないみたいだから。みんの奇跡的な癒しを求めて祈ったし、多くの方々も祈ってくださった。そのときは私たちが求めた形での祈りの答えは与えられなかったけれど、私は、だから神様はすばらしくないとは少しも思わなかった。祈りが(自分が願ったとおりに)答えられたときにやっぱり神様はすばらしいね」と言うことに慣れてしまうと、自分の信仰の拠り所があるべき位置からずれてしまうようにも思う。(とりなしの祈りや請願の祈りをしないという意味ではないです、念のため…)


 結局のところ、
状況が好転したときに神様を讃えるのは簡単なのだ。信仰を持たない人だって、状況が好転すれば「神様ありがとう」と言うだろう。祈りが答えられなかったように見えるとき、状況が悪化したとき、神への信頼が裏切られたかのように見えるとき、私たちはなんと言って主の前に出るのか… 実はこれは、私にとって数年来のチャレンジだった。(参照:過去記事より悪夢再び欺かれても本望」など


 すると友人はこんなことを分かち合ってくれた。以前ノンクリスチャンの人から、クリスチャンの信仰はどういうところがほかの宗教の信仰と違うのかと聞かれたのだそうだ。倫理的・道徳的なことに関しては、どの宗教もだいたい同じようなことを教えているけれど、キリスト教の信仰は他の宗教と比較して、どこが違うのか、と。それに対して友人は、「クリスチャンの信仰は、目の前の状況がどんなに悲惨であっても、世の中にどんなにひどいことが起こっても、いずれ必ず神様がすべてを正してくださると信じるところがほかの宗教と違うのだと思う」と答えたそうだ。(表現が不正確かもしれないので、あとで本人に確認します。)⇦確認しました。これでオッケーとのことです。感謝!
 

 その友人はさらにこう言った。「祈りが聞かれるとか聞かれないとかいうのは、結局時間をどこで区切るかの問題なんですよね」と。まったくその通りだと思う。私たちに都合のいい時間枠で区切るなら、祈りは聞かれていないように見えるときも多々あるかもしれない。でも、100年、200年、1000年、2000年といったもっと大きな時間枠で区切るならどうだろう? 

 All shall be well. ノリッチのジュリアンも言ったように。All shall be well.

 そしてこの友人は、「苦しみの意味」と絡めて、こんなことを分かち合ってくれた。(ほんのちょっと編集しています。)

 

 1300年代、ヘルート・フローテはたった3年の活動の後に死んだ。彼の設立した生活協同兄弟団から後にトマス・ア・ケンピスが出、トマスの後継らはデボティオ・モデルナ(現代的霊性)を生きる、当時の欧州で最高品質の指導者たちを輩出し、エラスムスやカルヴァンを薫陶した。結果、宗教改革と対抗宗教改革が起き、全欧州が宗教的に覚醒することになった。その結実が、イエズス会による日本宣教でもあった。

 ヨブの苦しみの意味は最後まで本人には明かされなかったが、彼の苦しみはイザヤ書53章の苦難のしもべの型になり、イエスは苦難のしもべとして十字架と復活を成就し、聖書はヨブの苦しみが福音の道備えであったことを伝える。数千年という時間単位でみえてくる神の宣教への御心があり、どんな労苦でも神の御手の中では意味を持つ。その神ご自身が「宣教」における希望である。だから、神はこう語られた。使徒18章「恐れるな、語り続けよ、黙っているな……この町には、わたしの民が大勢いるから。」


 
やっぱり神様はすばらしいね」とは、こういう話を聞いたときにこそ言いたいセリフかもしれない。神様の時間軸や価値の測り方は、私たちのそれを超えている。私たちのすべきことは、それらを理解しようとしたり、納得いくように説明しようとすることではなく、善い御父に信頼して、「恐れるな、語り続けよ、黙っているな…」ということなのかもしれない。私にとっては、ブログを書き続けよ、かな?(笑)そして祈り続ける。とりなしの祈りも請願の祈りもやめたりしない。(参照:At the end of the day」)

 もうすぐみんの1回めの召天記念日がやって来る。今やみんも、雲のように私たちを取り巻いている証人たちの一人だ。みんも、「ママ、恐れないで、語り続けて。祈り続けて。黙ってたらだめだよ」と言っているかな…? ^^  


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去年の2月27日、ケンが高校のダンスパーティーに初めて行った夜。おめかししたケンを見て、みんはうなずきつつ親指を立ててみせた(「ナイス! いいね!」という意味)。