アメリカのお葬式は、やはり教会で行われることが多い。しかしたいていの町にはfuneral homeと呼ばれる斎場があり、お葬式の前日に故人にお別れを言うための、日本で言えばお通夜のような儀式(wakeとかviewingとか呼ばれる)はそこで行われるのが一般的だ。

 みんもうちの村のfuneral homeでお葬式の前日にwakeを持った。funeral homeの人はとても親切で、私たちにはわからないことだらけの中(初めて、というだけでなく、そもそも日本人である私たちにはちょっと異なる習慣でもあるので)、丁寧に助けてくださった。

 どこのfuneral homeもおそらくそうなのだろうが、ここのfuneral homeはアフターサービス(?)も素晴らしく、お葬式のあと、三ヶ月おきにグリービング(悲嘆)プロセスを助けるための小冊子を送ってくれている。先日、4冊目が届いた。これが最後になるようだ。

 添付の手紙には、「グリービングの最中の記念日というものはどれも辛いものですが、亡くなってから1年目の記念日は、特に難しいと誰もが言います。We will be thinking of you during this time. 1年目の記念日は難しいものですが、その日がもうすぐ近づいてくるという思いのほうが、実際の記念日の当日よりも辛いものです。中には、一周年が過ぎたらグリービングはもう終わると考える人たちもいますが、決してそういうものではありません。私たちは、このプロセスはまだ続くものだと知っています。グリービングに関する小冊子はこれで終わりますが、our concern and care is far from over. We continue to care.」とあり、なんだかとても慰められた。

 特に、「その日がもうすぐ近づいてくるという思いのほうが、実際の記念日の当日よりも辛いものです」という一文に、とても励まされた。確かに、一周年がもうすぐ訪れると考えると、様々なことが走馬灯のように脳裏を駆け巡り、それだけでどうにも苦しいものがある。しかし、そうか、今、私が感じている苦しい思いは、いわばこの一ヶ月がピークで、実際の記念日は、おそらくもっと平安を持って迎えることができるのだろうと、なんだか気が楽になった。

 一周年の日には、今のところ特に何も予定していない。何かを計画するような気力もないので。(多分家族だけで、小さな礼拝のようなことをするかな。)それでも、6月15日のみんの23歳の誕生日か、夏のどこかの時点で、もしかしたらみんの親しい友人を呼んで、バーベキューでもするかもしれないけれど。 

まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたは泣き、嘆き悲しむが、世は喜ぶのです。あなたがたは悲しむが、しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。
女が子を産むときには、その時が来たので苦しみます。しかし、子を産んでしまうと、ひとりの人が世に生まれた喜びのために、もはやその激しい苦痛を忘れてしまいます。
あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。
(ヨハネ16:20−22)

 このみことばは、今の私の嘆き悲しみに、希望を与えてくれている。何度も、何度も、読み返し、口ずさんでいる。
              
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