今日のリチャード・ローアのDaily Meditationの中にあった祈りについての記述が心に留まったので、メモ。
 
 「祈り」ということばは、自分が求めるものを請願するための方法、あるいは神に何かを伝えるための方法を表現するものに矮小化されてしまうことがよくある。まるで神はそれらのことをご存知ないかのように。しかし私が「祈り」というとき、それは自分の中で信仰、希望、愛を経験することを可能にしてくれる、内なる旅路、また実践を意味する。それは何かを得るためのテクニックや、神を喜ばすための敬虔な活動や、天国に入るための必須事項ではない。祈りとはむしろ、この地にいながらにして天を実践することなのだ。

 祈りが「内なる旅路」だというのは、とても腑に落ちるものがあった。

 実は、昨夜ちょっと心にひっかかることがありーーここしばらく痛みを感じていた部分を、もう一度ひっかかれたような感じーー、今朝そのことを心に覚えつつ、ヨハネの福音書を読んでいた。そうしたらその中のある箇所が不思議と心に迫ってきて、その部分を繰り返しつつ祈っていたら、私の中でひっかかっていたものが、コロリと落ちたような感じがした。一つ、私を縛っていたものが解かれたように感じた。感謝。

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