jesus_sheep
Facebookに朴ヨンス先生が投稿なさっていたお話です。とても心に響いたので、許可をいただいて転載させていただきます。パク先生、ありがとうございます!

 ある週末の午後、ある牧師に週報を任されている印刷会社から電話があった。

 「牧師先生、送って下さった内容の中で、聖日の午前礼拝の説教のタイトルが抜けていました。説教のタイトルを教えて下さい。」「ああ、そうですか。タイトルは『主は私の羊飼い』です。」

 いつもは、その牧師の説教のタイトルは長めのものだったため、印刷会社の担当者がもう一度確認しました。

 「『主は私の羊飼い』、それでいいですか。」
 「はい。『主は私の羊飼い』、はい、それだけで十分です。」

 次の日の朝の礼拝時間、聖歌隊の讃美が流れる間に週報を確認した牧師は驚きました。説教のタイトルが「『主は私の羊飼い。』はい、それだけで十分です」となっていたからです。しかし、その説教のタイトルを何度も繰り返し読んだ牧師の目から涙が流れました。講壇に立っても牧師の涙は止まらないため、説教を始めることができませんでした。時間が少し経った後で、牧師は何度も繰り返して言いました。「主は私の羊飼い。はい、それだけで十分です。」  

 これ一つだけあれば、すべてが十分だというものがあります。私たちは、あまりにも多くのものに欲を出して心を奪われ、本当に必要なものを落として歩んでいます。権力や豊かさ、名誉はいつかはすべて消えてしまいますが、永遠に逃してはならないものは必ず手につかまなければなりません。                          
                                                         本「天の音、地の音」より