子を失った悲しみには、どんな慰めの言葉にもそう簡単には慰められない偏屈さがある。どんな説明も受けつけられない頑固さがある。

 先日、今、私が感じている娘を失った痛みは、産みの苦しみなのかもしれないと書いた。この悲しみの中から生まれ出でようとしている何かが生まれてくるまで、しっかり悲しみ抜いてねと娘が励ましてくれているように感じると書いた。

 悲嘆のプロセスとは、地に落ちた麦が後に残された人の人生の中で芽を出すための、準備期間なのかもしれない。そのための冬越えなのかもしれない。

 
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水栽培のヒヤシンスが咲いた。球根は大きくて立派だったのに、やけに小ぶり。 



あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。(1ペテロ5:10)

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今日は、CC17の実行委員会、中西部JCFN主催の恒例お餅パーティー、ケンの高校のバンドのファンドレイザーの大掛かりなイベントがあった。