DD Nativity Scene 45453 Preview

 今日は、JesusCreedに寄稿されていた記事を読んで、「ブルークリスマス礼拝」というものの存在を初めて知った。(こちら
 一言で言えば、クリスマスなのにブルーな気持ちの人たちのための礼拝、ということか。


  クリスマスは喜びと希望のとき。救い主イエスの誕生を祝うとき。しかし街を彩るきらびやかな電飾やどこからともなく流れてくる楽しげなクリスマスの音楽とは裏腹に、皆が皆、喜びと希望に溢れたクリスマスを迎えるわけではない。

 愛する人を失って初めてのクリスマスを迎える人。
 経済的に困窮した状態にあって子どもにプレゼントを買うこともままならない人。
 長引く深刻な病ーー身体的であれメンタルであれーー に苦しんでいる人。
 離婚、子どもの非行、親の介護…
 そんな人たちには、通常のクリスマス祝会は辛すぎるかもしれない 。

 そういう人たちの痛みや苦しみに寄り添いながらクリスマスを覚える礼拝を、「ブルークリスマス礼拝」と言うらしい。なんて画期的なのだろう! 素晴らしい試みだと思う。調べてみたら、シカゴ近郊でもそういう礼拝をオファーしているところはあったようだけれど、知るのが遅すぎた… もっと早く知っていたら、ぜひ行きたかった。
 この礼拝の呼び名に関しては、他にも、「Longest Night」「When Christmas Hurts」「Giving Our Tears」などいろいろバリエーションがあるらしいが、その目指すところは同じ。

 ブルークリスマス礼拝に関するリソースを提供しているあるサイトには、このようにあった。
 
Why should my church offer a Blue Christmas worship service? 
なぜ教会はブルークリスマス礼拝を提供すべきなのか。

• 私たちの多くは、待降節やクリスマスの時期のパラドックス(逆説)をよく知っています。クリスマスは希望と愛と喜びと平安を祝うはずのときでありながら、鬱と悲しみと悲嘆でいっぱいになってしまうときでもあるのです。ブルークリスマス礼拝は、多くの人たちがこの時期に直面する葛藤を、特別に覚えるために捧げられます。ブルークリスマス礼拝の地味な雰囲気は、往々にして見過ごされがちなマリヤやヨセフやイエスの葛藤を証するものでもあります。この礼拝をあなたの会衆や共同体に提供することで、私たちがだれでも直面する苦しみを認めるとともに、休息と慰めと癒しのための安全な場所を差し出すことができます。

• クリスマスはある人たちにとっては痛みに満ちたときでもあります。愛する人を亡くしてから初めて迎えるクリスマスかもしれません。この時期は毎年辛いのだという人もいるかもしれません。ラジオやテレビ、ショッピングモールや教会などから絶え間なく聞こえてくる喜びに満ちた歌や、家族や友人たちの楽しい集まりについて随所で見聞きすることは、多くの人にとって、自分にはないもの、失ってしまったものを思い出させるだけかもしれません。街中に溢れるお祝いと喜びに満ちた空気は、自分の孤独さをますます助長するかもしれません。私たちは、そのような悲しみを認めるための場所と時間が必要です。私たちは独りぼっちではないのだと知る必要があります。自分の目の前にある日々を、生きていくための励ましが必要です。ブルークリスマス礼拝はそのための場所です。 

 また、こちらには、具体的な式次第の例が出ている。
 
-Blue Christmas Service:  When Christmas Hurts

 ある個人が考えたものらしいが、だれが使ってもかまわないとのこと。
ここに出ているリタージーが素晴らしい。もし時間があれば、明日にでも翻訳してみるかも。

 今は祈りの一部分だけ…
 憐れみ深い神よ、このアドベントの時期、苦しい思いや記憶を持ちつつ生きている私たちや家族のために、私たちの祈りをお聞きください。今日を生きるための力を、明日を迎えるための勇気を、そして過去を覚えるための平安を、どうぞお与えください。喜びと悲しみ、死と新しいいのち、そして絶望と約束を、私たちとともに分かち合ってくださるキリストの御名によって祈ります。アーメン。

追記: ブルークリスマス礼拝の式文全文を翻訳しました。

-ブルークリスマスのリタージー