今日のアドベントプロジェクトのディボーションを読んで思わされたこと。
 
おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。
“Greetings, O favored one, the Lord is with you!” 
(ルカ1:28) 
 

 こんな挨拶をされたら、どんな素晴らしい知らせが来るのかと思ってしまう。マリヤは、これが何を意味するのかわからず、ひどく戸惑ったのだけれど。でも普通に考えれば、こういう挨拶は何か良い知らせがもたらされることを予期させるだろう。

 しかしマリヤが聞いたのは、「あなたはみごもって、男の子を産みます」だった。

 まだ結婚前の身なのに。婚約中なのに。いったいどこが恵まれているのか。未婚のマリヤがみごもったりしたら、婚約が破綻するか、最悪の場合、姦淫の罪で石打ちにされてしまうのに。それのどこが恵まれているのか。どこが、「主があなたとともにおられ」るのか…

 ああ、なんということだろう。神に愛されている恵まれた者であるとは、主がともにおられるとは、私たちの感覚では、ときにはとても悲惨なことが迫り来る困難な場所を通ることもあるのか。マリヤは神に選ばれ祝福されたゆえに、未婚の母としての恥を負わなければならなかった…

 主がアナニヤにサウロ(まだクリスチャンを迫害する者だったころのパウロ)を訪ねなさいと語ったとき、アナニアが戸惑うと、主はさらに言われた。「(サウロは)わたしの選びの器です。彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」

 私はこの箇所は、サウロがそれまでクリスチャンを迫害していたから、そのせいで今度はサウロが苦しむことになるというか、一種の自業自得というか、罪滅ぼしというか、そんなような感じなのかなあと思っていたけれど、今日のディボーションを読んで、まったく違うイメージが湧いた。パウロは選びの器とされたがゆえに、主の御名のために苦しむことになるのだ… それは、主の御名に連なう者たちは、多かれ少なかれ、みな何らかの形で体験するものなのかもしれない。


 先日、私の古い手帳を何気なく見ていたら、2013年5月のページに、「I asked God to "show me Your glory". Then He invited me into a series of sufferings!」という走り書きがあった。
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 そう、Show me Your gloryとは私の長年の祈りだった。そして、2010年の春ごろから、いくつかの困難とそれに伴う痛みが私につきまとうようになった。それは、みんのガンと死で頂点に達したかのようだった。痛みはまだ続いているし、今後また別の何かが起こるかもしれない。けれども、特にこの1年、キリストとともに通るなら、苦しみの中でも主のご栄光を仰ぎ見ることができるということが、なんとなく、ほんのちょっぴり、わかってきた気がする。

 御使いの言葉に「おことばどおり、この身になりますように」と応えたマリヤのその後の人生は、確かに主がともにおられる人生、主の恵みの中にある人生だったろうと信じる。たとえそこには、未婚の母としての恥を負ったばかりか、そうやって産んだ息子が辱められ、鞭打たれて血を流したあげく、罪人として処刑されるのを目の当たりに見ることが含まれていたとしても…… 

 もしマリヤが、自分の人生の今後の一ページに、このような惨事が起こると知っていたとしても、彼女はきっと「おことばどおり、この身になりますように」と応えたに違いない。

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(Katherine Kenny Bayly "The Passion of Mary"  ミケランジェロのピエタとローラン・ド・ラ・イールのキリストを抱く聖母マリアのコラージュ)


マリヤの詩 (キャサリーン・ウェイクフィールド はちこ訳)

「永遠」が耳元でささやくのを
聞いたとき、はさみは光を反射させながら
彼女の指から木の床に滑り落ちただろうか
 糸巻きはほどけただろうか
蜘蛛の意味ありげなゆりかごは
愛で震えただろうか 想像してみよう

その知らせに、いかに
乾いた野が身を乗り出したことか
そして一瞬、彼女は家中のコオロギが鳴くのを聞いた
彼女が答えたとき、すべてのものが動いた 
月も乳色の天の川で

そして、彼女が心臓を胸から
抜き取りたいと願ったとき
羽々がざわめき、ちりが舞い上がったのを
彼女は思い出したのだろうか
 
Mary’s Poem  by  Kathleen Wakefield

When she heard infinity
whispered in her ear, did the flashing
scissors in her fingers fall
to the wooden floor and the spool unravel,
the spider's sly cradle
tremble with love? Imagine

How the dry fields leaned
toward the news and she heard, for a moment,
the households of crickets –
When she answered, all things shifted, the moon
in its river of milk.

And when she wanted to pluck
her heart from her breast, did she remember
a commotion of wings, or the stirring
of dust?

 私はあの明け方のことを思い出すとき、あのとき、あの場で、御使いの「羽々がざわめき、ちりが舞い上がっ」ていたに違いないと思える。これからも、そのときのことを覚えていたいと思っている。苦しいけれど。あの晩のことを思い出すとき、確かに胸が締め付けられるような苦しさを覚えるのだけれど。それにもかかわらず、不思議な平安があって、私はそれを否定することはできない。だから、私もマリヤの言葉に自分の言葉を重ねたいと思う。

 「おことばどおり、この身になりますように…」

追記:上記のものを投稿したあとで、ふと思い直した。マリヤはイエスが十字架刑に処されることを知っていたとしても「おことばどおり、この身になりますように…」と言っただろうと書いたけれど、やっぱり違うかもしれない。将来具体的に何が起こるかは私たちにはあらかじめ分からないというのは、もしかしたら神様の憐れみなのかもしれない。あらかじめ分かっていたら、やっぱり逃げてしまうかもしれないから。それでも、あらかじめ知っていたら逃げてしまうようなことでも、それがいざ実際に自分の身に起こるときには、きっと神様の憐れみと恵みによって、耐えられるように整えられ、助けられるのかもしれない。よく分からない。でも、すべてを分かっている必要もない。