うちの庭の南側の塀に沿って、バーニングブッシュ(日本名:ニシキギ)がいくつか植わっている。この家の前のオーナーが植えたもので、引っ越してきた当初は小さかったけれど、今では2メートルくらいの高さになっている。

 バーニングブッシュは、秋になると燃えるように真っ赤に紅葉するので、Burning Bushという名前がついているけれど、どういうわけかうちのバーニングブッシュはちっとも紅葉しない……と私は長年思っていた。紅くなったのを見たことがなかったのだ。見たという記憶がなかったのだ。今年の秋、庭に手を入れた際も、紅葉しないなら取り払ってしまおうかと、もう少しで撤去するところだった。でも、とりあえず健康そうではあったので結局そのまま残した。それが11月上旬で、私が知っているとおり、紅葉はしていなかった。

 ところが、その後しばらくしたら、紅葉したのだ。かなり見事に。今まで一度も紅葉したことがない(と思っていた)のに。
 
 どういうこと?と驚いたのだけれど、 おそらく、本当は今までも毎年ちゃんと紅葉していたのだろう。紅葉していたのに、私が見ていなかったのだ。実を言うと、今まで私は自分の家の庭にあまり注意を払っていなかった。

 でも、私たちが見ていないときでも、毎年こんなに見事に紅く燃えていたのか。そう思ったら、今までなんてもったいないことをしていたのだろうと、自分のこれまでの無関心さに我ながら呆れてしまった。
 
 バーニングブッシュだけではない。うちの庭にはたくさんの野鳥が来ることにも最近気がついた。バードフィーダーをぶらさげたら、カーディナル、ブルージェイ、キツツキ、野鳩、ゴジュウカラ、シジュウカラ、フィンチ、ユキヒメドリ、ハチドリなどなど、目の前にたくさんやって来る。自分の家の庭に! この家に25年間住んでいて、そんなにいろんな鳥が来るなんて知らなかった。たまに来ることもある、という程度にしか認識していなかった。リスやフクロネズミ、野うさぎといった動物が来るのは知っていたけれど(彼らは庭を荒らすので目立つ)… 本当に、なんてもったいない。


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(まだ紅葉の残るバーニングブッシュに積もった雪。今朝の光景)

 私の好きな、エリザベス・バレット・ブラウニングの詩を思い出す。

この地は天で満ちている

どのふつうの柴も、神の火で燃えている

しかし、それに気づく者だけが履物を脱ぐ

ほかの者はただその周りに座り、木いちごを摘む


“Earth's crammed with heaven, 

And every common bush afire with God, 

But only he who sees takes off his shoes;

The rest sit round and pluck blackberries.”


 まさにこの詩のままだ。私は、うちの庭の何の変哲もない「柴」が燃えていることに気づかず、それに注意を払うこともなく、ただその周りで、自分のことで忙しくしていた。こんなにも美しく心安らぐ光景が、自分の家のすぐ前(後ろ)に広がっていたのに… なんということだろう。

 十分にペースを落とした「急がない生活」を送るなら、私はきっと、もっとたくさんの神様からのギフト、すでに差し出されている神様からのギフトに気づき、それらを受け取ることができるのだろう。それらのギフトの前で、数々の神の御手の跡の前で、履物を脱いで神を仰ぐ者でありたい。

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雪降り積もる庭を興味深げに見つめるウィルソン。私もウィルソンに見習わねば。