レッスンその5:二つの責任

 

  私たちの責任には二種類あります。「自分に関する責任」と「他者に対する責任」です。

 ガラテヤ書は、「人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷がある」(6・5)と言っています。この「重荷」はギリシャ語で「荷物」を意味し、ハイキングで各人が自分の所持品を入れるナップザックのようなものです。「自分に関する責任」とは、身の回りの管理や担当の仕事など、毎日の生活において自分自身がやらなければならない「日々の労苦」に関するものです。

 さらに、活動に関するものだけでなく、自分の感情、選択、願望など、内面的なものも含まれます。自分の感情に関して責任を持つとは、たとえば、悲しいときに誰かが慰めてくれるのを黙って待つのでなく、自分から援助を求めたり相談したりすることです。
 自分の選択に責任を持つとは、自分の選択の結果、たとえ好ましくないことが起こっても、他者や状況に責任転嫁をしません。自分の願望に責任を持つとは、願いや夢があるなら、その実現に向けて積極的に自ら努力するということです。

「自分に関する責任」は、聖書が言うように、各人が負うべきものであり、他者に肩代わりしてもらうべきではありません。

 共同体の中で生きるよう召されている私たちには、もう一つの重要な責任があります。それが「他者に対する責任」です。

 ガラテヤ六章二節には、「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法をまっとうしなさい」とあります。ここでの「重荷」は、「非常に重たい重荷、困難」を指し、一人で運ぼうとするなら潰されてしまう巨大な岩のようなものです。自分の身の回りのことをするだけでなく、人生における危機や惨事に瀕している人に助けの手を差し伸べることも、私たちの責任なのです。

さらに、新約聖書には「互いに〜し合いなさい」という勧めが多くあります。交わりの中で、それらの勧めにおける自分の分を果たすこと(例えば、愛する、赦す、受け入れる、仕える、忍ぶ、慰める、励ます、訓戒する等)も、他者に対する私たちの責任です。

 職場に、自分の担当の仕事を期日通りに果たさない同僚がいるかもしれません。教会の奉仕者仲間に、いつも遅刻する人がいるかもしれません。危機的な状況に瀕していて助けを必要としている場合もあるでしょうが、それがその人のいつもの行動パターンであるなら、愛をもって対峙することも大切です。(その際の言い方は「レッスンその2」を参照)

クリスチャン新聞2010年 7月4日号掲載

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