レッスンその4:ルールを作って自由になる(前)

 

 世の中は本当に便利になりました。たとえばインターネットといえば、かつてはダイヤルアップでつなぐものでした。電話代の安い時間帯を狙ってわざわざ早起きする人も少なくなかったと思います。それが今では、携帯電話などでいつどこでも簡単につながります。
 メールのやり取りも簡単です。仕事も、かつては職場でしかできなかったことが、自宅からでもできるようになりました。真夜中や週末に仕事のメールが入ることも珍しくありません。海外の人とも簡単に連絡が取れ、コラボレーションができます。私たちの活動の多くは、もはや場所や時間の制約をほとんど受けなくなりました。

 時代がもたらした簡便さに加え、大人には自分のことは自分で決定する自由があります。何を食べるか、何時に寝るか、いつ誰とどんな活動をするか…

 便利で自由があるのは素晴らしいことですが、それがあだになることもあります。何かをすることが可能で、それを行う自由があるからといって、それをするのが自分にとっての最善とは限りません。自由のせいで不自由に感じることは、誰しも覚えがあるのではないでしょうか。自分にとって益にならないもの、ゴールの達成を妨げるものを遠ざけるために、ときには自らルールを作ることも必要です。  

 ここでいうルールとは、法的・道徳的なものではなく、自分の行動を自分なりに律するための個人的な方針のことです。それを行ったら罪になるとか他者を傷つけるといった類いのものではありません。では、どんなルールを作ったら生活改善に役立つでしょうか。

 まず自分の生活を振り返り、どこに困ったことが起きているか、考えてみましょう。
 たとえば、しばらく前に私は、夜なかなか寝付けなくて困っていました。寝付きが悪いために睡眠時間が減り、昼間の活力も落ちていました。いろいろ考えた結果、夜に飲むコーヒーのせいではないかと思い至りました。何日か夕方以降のコーヒーを止めてみたところ、寝付きが改善されました。そこでそれをキープするため、夕方4時以降はコーヒーを飲まないという自分専用のルールを作りました。おかげで今は、気持ちよく眠れています。好きな時間にコーヒーを飲むという自由を制限したおかげで、私は睡眠時間と活力を取り戻したのです。
 生活の中で、自由があるせいで惨めな思いをしている部分があるなら、惨めさから解放されるためにその自由を自主的に制限しましょう。自制は御霊の実です。

クリスチャン新聞2010年5月9日号掲載

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