レッスンその2:言いにくいことを伝える(後)

 

言いにくいことでも伝えなければならないときがあるのはなぜでしょうか。現状の望ましくない部分を改善し、業績や人間関係などをより良いものにするためです。
 こういった会話をするとき、なぜ今それを言おうとしているのか自分の動機と目的を意識していると、感情的にならずに会話を進めるのに役立ちます。前回お分かちした点に気をつけつつ、祈りと配慮をもって効果的にコミュニケートしたいものです。

しかし、時には相手の気持ちに配慮しすぎて、肝心なことをはっきり言えなかったり、相手の言い分にうまく丸め込まれたりしてしまう場合もあります。

世の中には、こちらが問題を指摘しようとしても、さまざまなことを言って責任を回避しようとする人がいます。本人は無意識かもしれませんが、話をすり替えたり、問題を過小評価したり、怒りだしたり、逆にあなたを非難したり、自分の苦労を語ってあなたの同情を買おうとしたり、ありとあらゆる方法で肝心の問題から焦点をそらそうとするのです。
 相手の言い分がもっともで、それに応じて適切な調整が必要な場合もありますが、単なる言い訳に過ぎないこともあります。

そういう場合は、「いったん相手に共感を示し、それから元の問題に戻る」のだと覚えておいてください。

しっかりした境界線を持つ人は、相手のペースに飲み込まれず、自分を保つことができます。相手の気持ちにおかまいなしでいいという意味ではありません。むしろ相手の言い分や事情にはしっかり耳を傾け、心からの共感を示します。「なるほど、それでは君が難しいと思うのも無理ないね」「あなたも頑張ってくれているのね。感謝しているわ」等。そして共感を示した後は、元の問題に戻ります。「しかし、ここで私が確認したいのは…」「ただ、今私があなたに頼んでいるのは…」。相手がそれに応答するまでは、焦点をずらしてはいけません。

あなたが問題視していることに相手が応答したら、今度はそれに具体的にどう対処してくれるつもりなのか、確認しましょう。問題改善のために、相手の側にもあなたに要望がないか、尋ねてみましょう。

愛と配慮を持ちつつも、問題には妥協しない態度が必要です。このバランスは会話のスキルとして習得可能です。しかし、私たちを内側から変えていってくださるよう主に願い求めるとき、単なるスキル以上に、キリストの品性の自然な現れとして難しい会話もスムーズにできるようになるでしょう。

 


クリスチャン新聞2010年2月28日号掲載

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