今、Facebookをお休みしている。アカウントを停止させた。削除ではないので、戻ろうと思えばいつでも戻れる。でも、11月末くらいまでは休むつもりでいる。

 Facebookがもたらしてくれた利点はたくさんあった。Facebookがなければ知り合いにならなかったであろう多くの人と知り合いになったし、日本の家族や親戚、友人の様子が手軽に知れるようになったし、高校や大学時代の友人たちとの旧交を暖めることもできた。いろんなグループも簡単に作れるので、仕事でも活躍してくれた。

 そして、 みんが闘病していたときは、FBとブログを通じて多くの人がみんのことを知り、世界中のいろいろなところで、私が直接知らない人たちまで、みんのために祈ってくださった。FBを通して、大勢の方々から計り知れないサポートや励ましをいただいた。心から感謝している。

 それでも、FBのタイムラインというのは、つけっぱなしのテレビのようでもあり、しかもそこに登場するのは商業的な宣伝から友人たちの日々のこと、かわいいイヌやネコの動画や写真、世界のニュースやくだらないけど面白いニュース、レシピなどなど、基本、自分にカスタマイズされているので、私の興味をいくらでも引くようなものだ。 おかげでFBを通してたくさんの有益な情報を得たことも確かだけれど、それでもやっぱり、情報量が多すぎると最近とみに感じていた。特に私は、仕事が基本的にパソコンの前に座って物書きをすることなので、どうしても簡単にインターネットにアクセスできる。翻訳や書き物をしながらネットで調べ物をすることも多いので、ネットを切ることはできない。でも、その流れでついFBにもアクセスしてしまうので、自制の足りない私は、思い切った処置が必要だと思った。

 このタイミングでアカウントを停止することにした理由には主に二つある。

 一つは、11月半ばにJCFN中西部主催で沈黙のリトリートを持つのだけれど、その準備にあたって自分を整えたかったこと。これまでも、私はなるべく1日を15分の沈黙で始めるようにしていたけれど、 朝の15分だけでなく、1日を通して雑音になりかねないものを排除したいと思ったから。この理由が大きい。

 もう一つは、アメリカの大統領選挙が近いていること。今回の大統領選挙はなんとも悲惨なことになっていて、普段の大統領選挙でもネガティブキャンペーンはすごいけれど、今回は一層すごいので、その勢いから自分を遠ざけたかったこと。これについては、あえてこれ以上は言わないけれど。

 アカウントを停止してから数日だったけれど、思いの外、全然平気なので自分でもびっくり。もっと禁断症状のようなものが出るのかと思っていた。風のたよりでお友達に赤ちゃんが生まれたとか結婚式の写真がポストされたとかいう話を聞くと、そういうニュースを見れないのは残念にも思うけれど、また11月末にアカウントを復活させたら、それらの写真を探して拝見させていただこう。 
 
 私のアカウントを停止する前に、みんのアカウントをメモリアライズした。故人のアカウントであることを示すような処置のこと。彼女のアカウントには今までどおり、友人たちからポストすることができるし、これでまちがって削除されることなく、ずっと保存される。みんのアカウントをメモリアライズしたことで、私も心置きなく自分のアカウントを停止できた。削除はしないのは、FBにもみんとの思い出(写真など)がたくさんあるから。 

 今日のシカゴは曇り…と思っていたら、雨が降ってきた。雨の音と、ウィルソンのチャカチャカチャカという足音(床にウィリーの爪が当たる音)が耳に心地よい。物理的な静けさと、内的な静けさ。その両方が大切。特に、内的な静けさを保つ訓練をすることで、物理的には静まれないときでも、平安のうちにとどまれるようになるのではないかな…


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昨日我が家でもたれた婦人バイブルスタディのとき、二人で仲良く遊んでいたウィルソンと1歳のS平くん。