今日はハロウィン。シカゴはあいにくの雨です。


 この数年、日本にもハロウィンが流行り始めているそうで、しかも日本は元祖コスプレの国だし(?)、かなりすごい勢いで広がっていると聞きます。そして、一般の人たちからも、クリスチャンからも、ハロウィンって一体なんなの?危なくないの?というとまどいの声が聞こえてきます。


  私も、長女がまだ小さかったころ、クリスチャンがハロウィンに参加するのはどうなのか?という疑問にぶつかりました。クリスチャンのラジオなどでも、賛否両論があり、侃々諤々と議論されていました。そんなとき、同じ教会の年上の姉妹に、「毎日が主の造られた日でしょう? どうして10月31日だけみすみす悪魔に渡してしまうの? この日も主が造られた日なのだから、堂々と、主を讃え、喜び、感謝しながら楽しく過ごせばいいと思うわよ」と言われ、迷いが吹っ切れたのを覚えています。そして、良心の呵責を覚えることなく、子どもたちには好きなコスチュームを楽しませ、友達と近所にTrick or treatに出かけたり、教会主催のFall festのようなイベントに参加したりしていました。ふだんは全く顔を会わす機会のない近所の人たちに挨拶のできる、とても良い機会でもありました。


  ハロウィンの起源は、キリスト教の "All-hallow Evening(諸聖人の日の晩)" だとも、ケルト人の異教のお祭りだとも、悪魔崇拝やオカルトだとも、いろいろ言われています。欧米で祝われている祝日には、キリスト教起源と異教の起源の両方があるものは少なくなく、クリスマスや復活祭でさえも、両方の起源があります。イエスが生まれたのは本当は10月だというのは、すでにクリスチャンの間ではよく知られていると思いますが、それでもイエスの誕生を12月に祝うのは、ヨーロッパに昔からある異教のお祭りを、キリスト教がいわばハイジャックした(?)からですよね。クリスマスツリーの起源も、異教の習慣です。復活祭をイースターと呼ぶのも、異教の春の女神Eostreが語源で、イースターバニーも、ホットクロスバンズ(復活祭の頃に焼かれるパン)も、異教の習慣がクリスチャンの間に踏襲されたものだそうです。クリスチャンたちは異教のさまざまな習慣を受け入れ、祝されたものに変えてきたという歴史があります。ですから、ハロウィンのルーツに異教のものがあるからという理由では、クリスチャンはそれを拒絶すべきということにはならないのではないでしょうか。


  とは言え、この時期のアメリカは、不気味なデコレーションがあちこちにほどこされ、嫌な雰囲気もなきにしもあらずなのは確かです。うちの村でも、一ヶ月ほど前から駅前の通りの電柱に気味の悪い案山子が設置され(可愛いのもありますが)、はっきり言って私は嫌いです。車を運転しながらビクッとします。今では我が家の子どもたちは大きくなり、もっぱらやって来る子どもたちにキャンディーをあげるだけになり、ハロウィンのことはあれこれ考えなくなりましたが、日本のクリスチャンの人たちの間からかなりとまどいの声があがっているのを見かけたので、来年以降のためにも、参考になりそうな記事をシェアすることにしました。
  これは、アズベリー神学校の関連サイト、The Seedbed Blogからの記事です。私たちの特定の『信条』よりも、この地でキリストに似た者として生きることにフォーカスが当てられた良い記事だと思いました。

  1. Don’t be a Freak(変人にならない):邪悪なお祭りだと言ってハロウィンの日にドアに鍵をかけて引きこもったり、ハロウィンを楽しんでいる人たちを裁いたり、他者に不快感を与える態度を取らない。

  2. Be Missional("宣教的"であれ):キリストの愛を放つ良い機会としてとらえる。ファミリーイベントの日として、また教会にとってはアウトリーチの良い機会。(アメリカの教会の多くは、収穫祭とか、秋祭りと称して、大々的な子ども向けアウトリーチをします。)

  3. Set Boundaries (境界線を設定せよ):この世が祝うハロウィンには、確かにダークな側面、オカルト的な部分もある。なんでもありにはしてしまわないよう、祈りを持って識別力を働かせ、受け入れられないものにははっきりとノーと言う。

  4. Talk to Your Children(自分の子どもと話をせよ):子どもにハロウィンの歴史ーー異教的起源とキリスト教的起源の両方があることーーについて話し、ダークサイドもあることを警告する。

  5. Don’t Judge Others(他者を裁かない):クリスチャン同士でも同意できない問題はあるが、自分と意見の違う人を裁いたり蔑視したりしない。世に対しても、周囲の強い意見を持つクリスチャンに対しても、迎合するのでなく、それぞれが主の前に出て、自分と自分の家族のためにはどうするのが良いのかを祈り求める。

 また、Benjamin Coreyというブロガーの記事にも良いものがありました。

(要旨)ハロウィンの起源は悪魔崇拝にあるのではないとしても、現在のアメリカでのハロウィンの祝われ方には、明らかに行き過ぎた、ダークで邪悪な側面もある。キリスト者は、ハロウィンのような時期には一層、この世の光となるべく招かれているのではないか。これは邪悪な習慣だと背を向け、しかめっ面をして批判的になるのでなく、私たちが「世の光」として、隣人にどのようにキリストの愛を示すことができるのか、どのようにwelcomingで、hospitableで、generousになれるか、ぜひ考えてみよう。ハロウィンを楽しむにも、世と同じやり方ではなく、キリスト者としての楽しみ方を見つけよう。ハロウィンでは、この世は「死」「暴力」「闇」を崇めるが、私たちはそのただ中にあって、対抗文化的なキリストの民として、「いのち」と「美」と「善」を表すものとなろう。


 アメリカではすでに、子どもたちが安全にハロウィンを楽しめるような場がたくさんありますが、日本はきっとまだそこまでいっていないでしょうから、小さい子どもを持つ日本の親御さんたちには特に知恵が必要だろうなと思います。どさくさに紛れて、ひどいことをする人が現れるかもしれません。この世に生きる私たちが、鳩のように素直に、蛇のように聡くあれますように。また、日本の教会にとっては、世の中にキリストの愛を現し、とどいていくためのまたとない機会ではないかと思います。日本の教会が、愛と知恵をもってクリエイティブに対応できますように!


追記:


 ハロウィンと言えば、子どもたちにキャンディー(アメリカで言うキャンディーとは、飴だけでなく、チョコレート類も含まれます)をあげる日でもありますが、チョコレート業界には、消費者として無視できない現実があります。それは、チョコレートの原料となるカカオをつくるために、ガーナやコートジボワールなどの原産国では、小中学生くらいの子どもたちが児童労働者として使われ、学校にもろくに行けず、搾取されていることです。私たちが美味しくいただくチョコレートの背後には、搾取されているアフリカの子どもたちがいるのです。アメリカの子どもたちがハロウィンでチョコレートをもらっている裏側で、アフリカの子どもたちがそのような目に遭っているというのは、あまりにも理不尽です。アメリカでチョコレートを生産している大手のほとんどは、残念ながら、そのような搾取に関わっています。そしてそのチョコレートを買う消費者も、知らずにそこに加担していることになります。
 私は、コーヒーを買うときは、意識してフェアトレードのものを選んでいますが、チョコレートのフェアトレードのものは、普通のお店ではまず見つからないため、ほとんど実践していませんでした。しかしこれからは、もっと意識しようと思いました。そしてハロウィンで配るキャンディーは、チョコレート以外のものにしようと思いました。
 参考になりそうなサイト

追々記
 見つけた! フェアトレードのハロウィン用チョコレート。


追々々記

 水谷潔先生の日本のハロウィンブームに関する記事。水谷先生も、ハロウィンの起源が異教的だからという理由でNGにするのは論理エラーではないかとおっしゃっています。御意。
 確かに日本でのハロウィンの盛り上がり方は異様な感じがしますが、だからと言って一切関わらないというのでなく、そこに表出している現代日本人の抱える痛みや問題などにも目を向けつつ、それらのものがキリストの愛によって贖われるために、教会は何ができるのかということを考えていけたらと思います。イエス様も、悪霊に憑かれている人がいたらその人を避けるのではなく、その人を解放するために手を差し伸べられました。
 悪霊の働きというのは、見るからにおどろおどろしいものの中だけにあるのでなく、商業主義的なもの、物質主義的なものなどの中にもあるでしょう。死者の仮装をするから悪魔的という単純な発想ではなく、それがどう御国の価値観に反するのかを見極めることが必要かなぁと思うのです。そして、私たちキリスト者には、そんな悪魔の力が働いているところにも、キリストの光をもたらすことができるのですよね!




水谷先生が、この記事をさらに深めてわかりやすく解説してくださいました。感謝します!



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