私はあまり律儀にジャーナルをつける人ではなく、いつも走り書きのメモ程度のものである上に、3冊くらい書きかけのジャーナルがあるので(汗)、どこに何を書いたか、すぐにわからなくなってしまう。

 今朝、夕べの黙想の中で示されたことを書き留めておこうと思い、三冊のうちの一冊を開いたら、今年の2月18日、レントにはいる直前に書いたものが目に留まった。そこにはこうあった。

イエスは十字架で全ての悪をexhaustされた。もはやこの世の悪は、私たちを滅ぼすことはできない。

主よ、苦しみからのdeliverenceではなく、命を与えることが私のフォーカスになりますように。あなたは私をすでにdeliverなさったのですから。



 40日間のあと、私を待っていたのはみんのガンの宣告だった。

 みんの病気が神様のみこころにかなっているとか、神様が与えたものだとは思っていない。それでも、神様の不意を突いて起こったことではなく、御手の中にあることは確信している。

 では、みんが病気になったのはなぜなのか。彼女がこの病を苦しまなくてはならない意味は何なのか…

 それは、答えを要求するべき問いではなく、これを問いつつ、そのテンションの中で私が日々生きていくことで、私をさらに深みへと導くための問いなのかもしれない。



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