魂をもてなすとは、安全さを差し出すことでもあります。この人は安全な人だと信頼しきって、自分の言葉を選んだり、心にある思いの善し悪しを考慮することなしに、正直に、ありのままの自分をさらけ出しても大丈夫だと感じられるとしたらどうでしょうか。この人は、私の言葉や思いの中で、受け止める価値のある部分は大切に受け止め、それ以外のものは、優しさという吐息で、吹き払ってくれるだろうと信頼できるとしたら。


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魂の友情とは、批判されたりあざけられたりすることを恐れずに、何でも分かち合うことのできる場所を提供することです。それは、仮面や取り繕いが取り除かれ、脇に置かれる場所です。それは、いちばん深い秘密、いちばん暗い恐れ、恥を感じるいちばん敏感な部分、いちばん心を乱す問いや不安を、安心してさらけ出せる場所です。それは、恵みの場、つまり、その人が将来こうなるだろうという姿のゆえに、現在の姿がそのまま受け入れられる場所です。


(David Benner, Sacred Companions: The Gift of Spiritual Friendship and Direction)



 安全さを差し出せる人でありたいと願う。神の恵みの中で生かされているがゆえに、自分もまた、他者に恵みを差し出せるものでありたいと思う。それは、御霊が相手の人生の中で働いておられると信じることでもある。その人は「神に愛されている者」であり、神の霊はその人の中で絶えず働いておられ、義の道へ、愛の中へと導いておられるのだと信じることでもあると思う。


 癒しも回復も成長も、すべてその安全さと恵みの中でのみ起こりうるのではないだろうか…


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 スピリチュアル・ディレクターの役目のひとつは、「何が起こっているときでも、どんな痛みの中にあるときでも、あなたの人生で、魂のうちで、神の霊はあなたを導き、育て、トランスフォームするために働いておられますよ」と、相手にリマインドしてあげることではないかと思っている。何を聴いても、何を見ても、「私はあなたを裁きません。批判しません。責めません。あなたを愛し続けます。あなたに寄り添い続けます。一緒に進みましょう。神の業を信じましょう。信頼しましょう。Journey on!」と、励ましつつ、その人の魂をそっとholdしてあげることだと思っている。