もう半年以上前になるけれど、スピリチュアル・ディレクションのセッションで、福音書のある箇所を読んで、その情景の中に自分を置いて、その場の空気を五感を用いて感じつつ、そこでイエスが自分に何を語っておられるかを聴く、という祈りをしたときのこと。(そのような祈り方は、「Imaginative Contemplation」とか「Ignatian Contemplation」とか「Praying with Imagination」と呼ばれる。)


 その日のテキストはルカ8章の、弟子たちがイエスと舟に乗って湖を渡ろうとしていたときに、イエスが寝てしまった箇所だった。


 そのときの祈りの中で、強く心に迫ってきたのは、湖を渡ろうとしたとき、「さあ、湖の向こう岸へ渡ろう」と、イエスの方から弟子たちに言われたということだった。


 舟に乗って湖に漕ぎ出したものの、途中で突風に見舞われて危険な状態になってしまった弟子たち。それなのにイエスは寝ておられる。「先生、先生。私たちは溺れて死にそうです。」


 そのときの私も、舟の上で突風にあおられ、水をかぶって死にそうになっているかのように感じていた。そして、そのような状況になっているのは、何か自分が引き起こしたことだったのだろうか、という思いにも悩まされていた。しかし、この箇所をディレクターがゆっくりと二度、声に出して読むのを目を閉じて聴きつつ、そして自分も弟子たちの一人として一緒に舟に乗っている様子を想像してイエスの御声に耳を傾けたとき、そもそも自分がその舟に乗っているのは、イエスの方から、「さあ、湖の向こう岸へ渡ろう」と促されたからだったと気づいた。それに気づいたとき、自分の人生に嵐があるからといって、それは私が神のご計画やご意志に反したことをしたからとか、反した場所にいるという意味であるとは限らないと分かった。むしろ、イエスの促しに従ったからこそ、そういう状況に見舞われることもあるのだ、と…


 このとき、ディレクターにその気づきを伝え、「イエス様の方から向こう岸に渡ろうとおっしゃられたのだから、その途中で嵐に見舞われても、大丈夫です。イエスが共におられますから。向こう岸に渡ったとき、何があるか楽しみです!」と言うと、ディレクターはうなずきつつ、それからためらいがちにこう言った。


 「そうね… ただ、このとき向こう岸に渡ってイエスたちが最初に出会ったのは、悪霊につかれたゲラサ人だったけど」


 私は、「ええーーっ!…(しばらく無言)… でも、いいです、だってイエスは、ちゃんと汚れた霊を追い出されましたから。イエスと共に歩む旅路は、まったく波瀾万丈ですね。(苦笑)」と答えたのだった。


 今朝祈っていたとき、そのときのことが思い出された。


 まさに、イエスの導きによって舟に乗り、嵐に出会い、イエスがその嵐を鎮めてくださり、ようやく向こう岸にたどり着いたと思ったら、私を待っていたのは悪霊につかれたゲラサ人さながらの、ガンという病だった。やれやれ。まさかそういうものが待っていたとはねぇ…


 でも。イエス様と一緒だから。That's what matters the most to me.



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Contemplating a Gospel scene is not simply remembering it or going back in time. Through the act of contemplation, the Holy Spirit makes present a mystery of Jesus’ life in a way that is meaningful for you now. Use your imagination to dig deeper into the story so that God may communicate with you in a personal, evocative way.


(Excerpt from The Ignatian Adventure by Kevin O’Brien, SJ)


福音書の場面を観想するとは、単にその場面を思い出すとか、その時にさかのぼるということではありません。私たちが観想するとき、聖霊はイエスの人生の奥義を、今のあなたにとって意味のあるような形で示してくださいます。想像力を使って物語の中に深く入って行ってください。神は何らかの思いを個人的に喚起するような形で、あなたとコミュニケートしてくださるでしょう。